ありがとう、フェルナンド・トーレス

       
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瀧本 拓朗

瀧本 拓朗

海外サッカーが好きで、特にプレミアリーグ中心に試合を観ています。中学生の頃にそのパスサッカーに魅了されてから、ずっとアーセナルのファンです。戦術的な分析などはまだまだ未熟ですが、「こういう見方もある」という新たな角度を皆さんにお届けすることができれば嬉しく思います。

国やクラブの垣根を超えて多くのファンに愛された”エル・ニーニョ”の大冒険が、この極東の地で終わりを迎えるとは、一体誰が予想できただろうか。

フェルナンド・トーレス。

スペインが産んだ天才FWの勇姿を目に焼き付けるための時間は、残りわずかとなった。

はじめに

2019年6月21日の昼下がり、元スペイン代表でJリーグのサガン鳥栖所属するフェルナンド・トーレス(35)が、今シーズン限りで現役引退することを発表した。

自身のInstagramとTwitterにて公開された1分間の動画には、彼の決意に満ちた表情と、キャリアを振り返る映像が映し出され、最後には6月23日朝に東京で記者会見を開くことが発表された。

あまりにも突然だったことに加え、「まさか日本で現役引退するとは」という声も相まって、このセンセーショナルな一報は瞬く間に世界中を駆け巡った。

スペインをはじめ、イングランド、イタリア、そして日本…様々な国で愛された彼の輝かしいキャリアを、数々の思い出に浸りながら振り返る。

書き手

 

衝撃だった日本での現役引退発表

 

Twitter

Instagram

 

動画の中の青年は、全盛期を象徴したかつての爽やかな金髪ではなかったが、どこかあの頃の面影を残していた。

 

一つ一つの言葉を噛みしめるように発して、自身のキャリアに終焉が訪れたこと、そしてその瞬間を日本で迎えることを自らの口で伝えた。

 

“神の子”が日本にやってきたのは2018年7月のことだった。

 

その直前にアンドレス・イニエスタのヴィッセル神戸加入が発表されていたこともあり、新たなるレジェンドのJリーグ参戦は、日本中のサッカーファンの心を躍らせた。

 

しかし、まさかキャリア終焉の瞬間もこの国で迎えるとは、その時は誰も予想出来なかっただろう。

 

選手にとって、「現役引退の瞬間」というものは本当に特別だ。

 

様々なクラブを渡り歩いたのち、最終的に故郷のクラブに戻って引退する選手もいれば、自分のキャリアにおいて最も重要だったクラブに戻って引退する選手もいる。

 

そんな中で、世界中の強豪クラブを渡り歩いたトーレスがキャリア最後のクラブとしてこのサガン鳥栖を選んだということ。

 

この事実は未だに信じられないことであり、とんでもなく贅沢な話だ。最後は本当に特別な瞬間になるであろう。

 

6月23日に東京で開かれた記者会見では、自身の現役引退の理由を、

 

「自分が求めるレベルに達していない」

 

と述べた。

 

さらに、引退後はそのままサガン鳥栖のアドバイザーに就任し、若手の育成に目を向けていくとも発表。

 

日本で引退するだけでなく、その後もキャリアも日本で築いていくというのだ。

 

現役最後の試合は、今年8月23日にホームで開催されるヴィッセル神戸戦となることが決まった。

 

盟友アンドレス・イニエスタ、ダビド・ビジャと同じ舞台に立ち、現役最後の瞬間を迎えることを選んだのだ。

 

 

この一戦は日本人だけでなく、世界中のサッカーファンにとって特別なものになることは間違いないだろう。

 

非の打ち所がない輝かしいキャリア

 

代表では2回のEURO、1回のW杯、さらにはチェルシーでのCL優勝に、アトレティコ・マドリーでのEL制覇。

 

トーレスのサッカーキャリアを振り返れば、どんなサッカー選手でも喉から手が出るほど欲しがるような、輝かしいタイトルの数々で彩られている。

 

果たしてこれほどの主要タイトルを全て獲得したサッカー選手が歴史上何人いるだろうか。

 

スペインの首都で始まりを告げた彼のサッカー人生は、まるで、その地の太陽のごとく美しい輝きに満ちたものだった。

 

故郷はマドリードの郊外に位置しているフエンラブラダ。

 

そのこともあり、家族や親戚の何人かはレアル・マドリーのサポーターであったが、熱狂的なアトレティコ・マドリーのサポーターであった祖父の影響を受け、トーレス自身も幼少期から”Los Rojiblancos” (スペイン語で”赤と白”の意で、アトレティコの愛称)の虜となっていった。

 

ちなみにキャリア当初はGKをやっていたという。

 

日本の漫画、『キャプテン翼』が大好きだった少年は、1995年に11歳でアトレティコ・マドリーの下部組織に入団。

 

順調に成長を遂げ、2001年に17歳で愛するクラブでのトップチームデビューを迎えた。

 

恵まれた体格に加えて、スピードとキレ、そしてなんと言っても端正なルックス。

 

非常にわかりやすい魅力を兼ね備えたこの青年は、瞬く間にビセンテ・カルデロンのアイドルとなった。

 

スペイン代表でもユース世代から順調にキャリアを積み重ねていき、プロデビューから数年で、将来を嘱望される若手選手へと成長。

 

その特大のポテンシャルと、少年のような幼い風貌から、いつしか

 

“エル・ニーニョ”(スペイン語で”神の子”の意)

 

と呼ばれるようになった。

レッズへの加入で世界最高峰の選手へ

 

そんなスペイン期待の若手FWのキャリアに転機が訪れたのは、07/08シーズンのことだった。

 

以前から彼はアトレティコ以外のクラブではリヴァプールFCに愛着があることを公言していたが、大方の予想通り、同胞のラファエル・ベニーテスに誘われる形で”レッズ”への入団が決まった。

 

その頃には印象深い美しいブロンドヘアになっていた神の子は、07/08シーズン開幕直後の2007年8月19日、アンフィールドでのチェルシー戦でいきなりその高い能力を見せつけた。

 

颯爽と前線へ駆け上がると、スティーヴン・ジェラードからのパスを受け、その長髪を振り回しながらタル・ベン・ハイムを鮮やかに抜き去り、レッズでの初ゴールを決めてみせたのだ。

 

https://twitter.com/LFC/status/1141963497665904641

※トーレスのリヴァプール初ゴールは0:56〜

 

王道を行く”王子様的”カッコよさと、素朴な性格、そして圧巻のスピードとキレを生かした数々のゴール。

 

多くの魅力を兼ね備えたスペイン人FWは、アンフィールでのアイドルになることにもそれほど時間を要しなかった。

 

また、当時のレッズの”魂”とも言える存在、スティーヴン・ジェラードとの相性が良かったことも彼の英国での成功を後押しした。

 

ちなみに23日に開かれた引退会見でも、これまでのキャリアの中で最も素晴らしかったと思うチームメイトとして、ジェラードの名を挙げた。

 

“スティーヴィーG”は今でもトーレスの中で特別な選手であり続けているようだ。

 

このシーズンは最終的にリーグ戦24得点を決め、プレミア挑戦1年目の外国人最多得点記録を見事更新。1年目にしては上出来すぎる結果であった。

 

08/09シーズンも、幾度の負傷に苛まれながら、リーグ戦14得点を記録。

 

瞬く間に世界レベルの人気選手となり、日本の書店に並ぶ人気サッカー雑誌でも、この金髪の王子が次々と表紙を飾るようになった。

 

プレミアリーグを代表する選手の1人となった彼は、カカ、クリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニー、リオネル・メッシらと共に、2000年代中盤〜後半の欧州サッカーシーンを牽引。いつしか、

 

“地上に現れた5人の怪物”

 

とも呼ばれるようになった。

 

“無敵艦隊”黄金期、始まりの一撃

 

クラブでの躍進同様、”ラ・ロハ”(スペイン代表の愛称)でも彼は徐々に欠かせない選手へと成長していく。

 

2006年ドイツW杯で初めてのA代表における国際舞台を経験したトーレスは、この大会でいきなり3得点を記録し、堂々の”世界デビュー”を果たす(スペイン代表は決勝T1回戦でフランスに敗れベスト16で敗退)。

 

そして、2年後に開かれたスイスとオーストリアの共催となったEURO2008のメンバーにも選ばれた。

 

その強さに対しては、古くから”無敵艦隊”のあだ名が付いていたが、この時のスペイン代表は、W杯やEUROといった主要国際舞台で長らくタイトルを獲得できておらず、「永遠の優勝候補」と揶揄されることもあった。

 

そんな中迎えたEURO2008本大会で、スペインは

 

GKにイケル・カシージャス、最終ラインに当時若手のホープだったセルヒオ・ラモスと、精神的支柱のカルレス・プジョル、

 

中盤に”クアトロ・フゴーネス”(スペイン語で”4人の創造主”)と呼ばれたシャビ、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバ、セスク・ファブレガスの4人、

 

加えて、彼らテクニシャンを後方から支えた「ラ・ロハの心臓」マルコス・セナ、

 

そして最前線には、イニエスタと共に現在ヴィッセル神戸に所属するダビド・ビジャと、”貴公子”フェルナンド・トーレス、

 

さらにその他にも、ぺぺ・レイナやホアン・カプデビラ、シャビ・アロンソにサンティ・カソルラ…

 

どこにも隙のない、若手とベテランが融合した”豪華絢爛”なメンバーを揃えた。

 

そしてそのスター軍団をまとめたのは、トーレスのアトレティコ時代からの恩師でもある”老将”ルイス・アラゴネスだった。

 

当時国内リーグのバルセロナの中心メンバーであったシャビとイニエスタが中盤でタクトを振るうスペインは、”ティキ・タカ”と呼ばれるパスサッカーで他国を圧倒。

 

初戦、伏兵ロシア相手に4−1と快勝をおさめると、その後も順調に勝ち進み、見事決勝まで駒を進めた。

 

相手はミロスラフ・クローゼやミヒャエル・バラック擁する強豪・ドイツ。

 

無冠の時代に終止符を打つには申し分ない相手だった。

 

試合開始から一進一退の攻防が続く中、前半33分”その時”は訪れた。

 

https://twitter.com/DFB_Team_ES/status/1142030149858279425

 

https://twitter.com/UEFAEURO/status/1142100384472870915

※トーレスのEURO2008ドイツ戦決勝弾は動画の最初のゴール

 

シャビからの鋭いスールパスは、当時ブンデスリーガ屈指のDFの1人であったフィリップ・ラームのカバーリングによって奪われるかと思われた。

 

しかし、一度身体を入れ替えられたトーレスは、大外から一瞬の速さでラームを追い越し、飛び出してきたイェンス・レーマンの目と鼻の先でボールを浮かしてゴールマウスに流し込んだ。

 

この神の子のゴールにより1−0で勝利をおさめたスペイン代表は、その後の2010W杯南アフリカ大会、EURO2012ウクライナ・ポーランド大会いずれも他国を圧倒する強さで制覇し”連覇”を達成。

 

https://twitter.com/FIFAWorldCup/status/1142025196368478208

 

トーレスも上記全ての大会に選出され、EURO2012では見事得点王にも輝いた。

 

そう、彼の右足から全てが始まったと言っても過言ではない。

 

スペインが誇る天才FWがラームと体を入れ替えたあの瞬間、「史上最強」と呼ばれた”無敵艦隊”の新たな黄金期が幕を開けたのだ。

 

今後、数十年経ったとしても、サッカースペイン代表の歴史を振り返る上で、トーレスの名は当時のチームメイトたちと共に幾度となく語られることであろう。

 

驚きをもって伝えられた”ブルーズ”への入団

 

それまであらゆるチームで赤いユニフォームに袖を通してきたエル・ニーニョ。

 

しかしそれが”青”に染まる瞬間は突然訪れた。

 

 

2011年1月、移籍金推定5000万ポンドで、チェルシーへの完全移籍が発表されたのだ。

 

ジェラードと共に「リヴァプールの顔」として数シーズンプレーしていた”王子”のライバルへの移籍は、英国だけでなく世界中でセンセーショナルに報じられた。

 

奇しくもチェルシーでのデビュー戦の相手は、古巣・リヴァプール。

 

ただ一つ異なったのは、リヴァプール時代と違って、デビューからゴールまで「903分」もの時間がかかってしまったことだろう。

 

「神の子の全盛期は終わった」

 

そんな声も聞こえてきたが、本人はそんなことも気にせずひたむきにスタンフォード・ブリッジのピッチでプレーし続けた。

 

すると、やはり「勝者」を宿命づけられたキャリアなのか、2年目のシーズンでFA杯とCLの2冠を達成。

 

トーレスのコレクションに新たな主要タイトルが加わった。

 

特に記憶に残っているのは、そのシーズンのCL準決勝バルセロナ戦2ndレグでのゴールであろう。

 

https://twitter.com/ChelseaFC/status/1141957837540732928

 

試合時間残りわずかとなったロスタイム突入間近、バルセロナはトータルスコア2−2とするも、アウェイゴールの差で下回り、どうしても1点が必要な場面で前がかりになっていた。

 

そして迎えた90+2分、バルセロナは最後のチャンスとばかりにこの試合で最も前がかりな攻撃を展開した。

 

しかし怒涛の攻撃も虚しく、チェルシーDFが大きくクリアしたボールは前線で1人残っていたエル・ニーニョの元へ。

 

ここからCL史に残る鮮烈な”1人カウンター”が発動。

 

ゴールに対してかなり手前の距離からGKと1対1になった。そして、そこはカンプ・ノウ。

 

おそらく彼のキャリアの中でも指折りレベルの大きなプレッシャーがかかっただろう。しかし百戦錬磨のスペイン人FWはそんなことを気にもとめず、悠々とカンプ・ノウの鮮やかな緑の芝を切り裂き、丁寧にゴールを流し込んだ。

 

その道筋は、まるでブルーズ念願のCLタイトルへの花道を描いているようであった。

 

この瞬間、トーレスはチェルシーへの”禁断の移籍”が自分のキャリアにとって大いなる意義を持っていることを、自らの力で示してみせた。

 

その後のバイエルン・ミュンヘンとの決勝戦でも、トーレスは1点ビハインドの後半ロスタイム突入直前に、CKを獲得するという形で、ディディエ・ドログバの伝説に残るゴールを”お膳立て”。

 

その後、クラブと代表両方で、”最重要”とも言えるタイトルを次々と獲得したエル・ニーニョのエキサイティングな旅は、新たな局面を迎える。

 

セリエAへの挑戦、そして心のクラブへの帰還

 

20代後半にして多くの世界的主要タイトルを獲得した神の子は、”第三の国”としてイタリアを選択した。

 

2014年4月に2年間のレンタルという形で、名門・ACミランに加入したのだ。

 

その頃にはトレードマークであった美しいブロンドヘアではなく、落ち着いた雰囲気の短髪へと様変わりしていた。

 

30歳を迎えたトーレスは同じ年の冬にACミランに完全移籍。

 

その後、2015年1月に古巣アトレティコ・マドリーへのレンタル移籍が決定した。

 

約8年ぶりの復帰だったが、クラブの状況は大きく変わり、闘将ディエゴ・シメオネに率いられ、世界でも指折りの強豪クラブになっていた。

 

それでも”我が家”であるビセンテ・カルデロンとそのサポーターは、あの頃となんら変わらず、優しく迎え入れてくれた。

 

セルヒオ・アグエロらと過ごしていた8年前はクラブ期待の生え抜きだった。しかし”2度目の所属”となった今回は状況が変わり、プレー面でも精神面でも「頼れるベテラン」という存在に。

 

そんな中、2015−2016シーズンにはリバプール時代以来となる二ケタ得点を記録し、そのシーズンの終わりにフリー移籍という形で古巣に完全復帰を果たす。

 

“神の子健在”をヨーロッパサッカー界に示したのだ。

 

そして2018年4月9日、世界一愛するクラブとの「2度目の別れ」を発表した。

 

アトレティコでの最後のシーズンでは、EL優勝を成し遂げ、有終の美を達成。トーレス自身も決勝戦でわずかな時間ながらピッチに立った。

 

EL優勝のトロフィーを嬉しそうな顔で見つめ、

 

「このタイトルが僕のキャリアの中で最も重要なんだ」

 

と語ったその瞳には、彼の人間性が滲み出ていた。

 

以下は、マドリード市内でのEL優勝パレードで語った際のそのコメントだ。

 

「22年前に僕は11歳でこの同じ場所にいた。アトレティコが1996年にドブレテを達成したのを祝いに来たんだ。そして僕はいつの日か当時の彼らと同じ場所に到達することを願いはじめた。長いキャリアの中で、僕はいろいろなことを経験した。しかし、間違いなくこのタイトルが最高だ。夢を持つすべての子供たちに言いたい。不可能なことは何もない。」

 

そして、涙ながらにアトレティコへの愛を語ったその数日後、5月20日のリーガ・エスパニョーラ第38節エイバル戦。トーレスは愛するクラブでの最終戦を迎える。

 

クラブ史に残るアイドルの最後の勇姿を見届けようと、アトレティコの新本拠地、「ワンダ・メトロポリターノ」には約6万5000人のサポーターが駆けつけた。

 

試合開始から終了後まで叫ばれ続けた、トーレスへのチャント。そんな中、エル・ニーニョは2ゴールを決めてみせ、アトレティを熱狂の渦に巻き込んだ。

 

特に60分にジエゴ・コスタのスルーパスに抜け出して決めたゴールは、まるで全盛期のようなスピードとキレだった。

 

試合終了後も、クラブのアイドルとの別れを惜しむように、サポーターたちは偉大なる”エル・ニーニョ”の名を懸命に呼び続けた。

 

試合後のセレモニーでトーレスは、自分をアトレティにしてくれた祖父をはじめとした家族、サポーター、そして天国への恩師、ルイス・アラゴネスに向けて涙ながらに感謝の言葉を述べた。彼がスタジアムを後にするまで、その名を呼ぶチャントは鳴り止まなかった。

 

2000年代前半、かつて2部リーグ降格というドン底を味わった中で、チームを1部昇格へと牽引し希望の光を与えたのは、まだ幼さの残る青年だった。

 

それから十数年が経ち、トーレスはアトレティにとって伝説となり、この大きな別れはスペインサッカー史に残る美しい出来事の一つとして深く刻まれた。

 

そして昨年7月10日、新たな冒険の地として日本を選んだことを発表。世界中から驚きの声が溢れる中で、サガン鳥栖に加入し、現在に至る。

 

常に「挑戦」と「成功」に溢れていた彼のキャリアは、最終的に極東の地に辿り着いた。

 

忘れられない”唯一無二”の魅力

 

彼の大きな魅力はプレー面だけではない。その”親しみやすさ”も稀有な才能の一つだ。

 

ここまでキャリアを振り返りながら紹介した、王子様のような風貌からは想像も出来ない、サッカーに対してひたむきで、素朴な内面。

 

それは、8歳の頃からの幼馴染と結婚したという点からも感じとることが出来る。彼の左足には、未だに愛する妻とのファーストキスの記念日の日付がタトゥーとして刻まれている。

 

デイヴィッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウドにも引けをとらない端正なルックス。

 

そして”エリート”と呼ぶに相応しい、数多くのタイトル。

 

それでもどこか漂う、「親しみやすさ」と「憎めなさ」。

 

なぜトーレスはこれほどまでに多くの人々に愛されるのか。

 

その疑問の答えはおそらく見つからないだろう。

 

アトレティコ、リヴァプール、チェルシー、ミラン、そして日本のサポーター。さらにはそれ以外のファン。

 

すべての人々にとってトーレスは特別な存在であり、そこに優劣をつける必要などない。

 

それこそ、純朴な性格のトーレスが悲しんでしまうだろう。

 

僕らに出来る残されたことは、最後の1秒まで、エル・ニーニョの勇姿をこの目に焼き付けることだ。

 

冒頭から何度も繰り返すが、幸いトーレスはこの日本という地でスパイクを脱ぐことを選んでくれた。

 

もし時間があるなら、最寄りのスタジアムにトーレスがやってきた時に足を運んでみてはいかがだろうか。

 

その時もおそらく、トーレスはあの控え目な笑顔で僕らの声援に応えてくれるだろう。

 

ありがとう、そしてさようなら、フェルナンド・トーレス。

 

 

 

“エル・ニーニョ”よ!永遠に!

 



【了】

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