<フランスの老将の哲学とは?>アーセン・ベンゲル監督ロングインタビュー

       
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山中 拓磨

熱烈なアーセナルファン。他の方の手のまわっていなさそうなところを中心に、海外サッカーについて色々と翻訳しています。アーセナル・コラムというブログ(http://littlemozart777.blog.fc2.com/ )もやってます。

アーセナルの指揮官、アーセン・ヴェンゲル監督が自身の哲学を

雑誌「レキップ」に語りました。

そのインタビューの英訳版を、原文を参考にしつつ翻訳したもので、太字が記者の質問です。





アーセン、今日、10月9日に、6945という数字を聞いて、何が思い浮かびますか?

なにも?

(アーセナルの監督をしている日数ですよ。ほかのプレミアリーグ全監督の在籍日数を合わせたのと同じくらいです。)

本当かい?つまりそれは何秒なのかな?数学が得意なんだろう?(笑)

(簡単ですね、6945 x 24 x 3600ですよ!)

私にとっては、未来にだけ向かって仕事をしている、ということ以外は大した意味を持たないよ。次の日だけを見てね。私はいつも未来に生きることにしているんだ。計画が必要だし、時に未来は厳しい。私と時間との関係性は不安に満ちているよ。常に闘っている。それが私が過去のことを気にかけない理由さ。

(未来が不安をもたらす、というのはどういうことですか?)

私はいつだって遅れることを恐れている。準備が間に合わないことをね。あるいは計画したものごとを達成できないことを。私と時間との関係性はあらゆる意味で苦しいものだね。後ろを振り返ることだって同じくらい怖いことだよ。未来には今まで成し遂げたほどのものは待っていないのだからね。時間と闘う唯一の方法は、後ろをあまり振り返らないことかな。振り返ってしまえば、不安に、そして後ろめたくなってしまうからね。

不安、という言葉を未来と過去両方を表現するのに使いましたね

幸せの可能性がある唯一の瞬間は現在なんだ。過去は後悔をもたらすし、未来は不確実だ。人はこれをとても早く理解し、宗教を作ったのさ。宗教は過去の過ちから人を解放し、天国へ行けるのだから未来のことも心配はいらないさと説くものだからね。つまり現在を大切にしろ、ということだ。人間は自身の心理を信仰を通して非常に素早く分析したと思う。

あなたの人と宗教のかかわりの明晰な分析はあなたが若かった頃の様子とはずいぶん違うようですね。当時はチームの勝利を願ってミサル(訳注: カトリックのミサで使われる典礼書)を読む時代でしたから

残念なことに、ミサルを読むのは現代ではあまり効果がないようだね!
それは良いことだとは思うがね。神の助けがなくてもチームが勝てるということだから。

サッカーの試合に関していえば、監督という仕事はまるで神のような神秘的な力を与えらているようなものですか?あなたはチームやスタイル、そして戦術の創造者であるわけですからね。

宗教に関していえば、神が人を創ったといわれている。しかし、私はただの案内人に過ぎないよ。私は選手が彼らの中に抱えているものを表現することを可能にするだけさ。私が何かを作り出すわけではない。

私の仕事は、人が内に秘めた美しさに手を貸すことなんだ。私は自身のことを楽観的な方だと思うがね、人の中に眠る美しさを開放するために終わりのない闘いに臨んでいる。そういう意味では私は少し純真すぎるのかもしれない。しかし、この信念のおかげで私は信じ続けることが出来るし、そして、この考えは正しいと証明されることも何度もある。

いつも、というわけではないですよね?

時々は、人の中に眠る最高の性質を引き出すことが出来ないこともある。しかしそれは私がいかにして失敗したのか分析する機会を与えてくれる。

さっきはときどき純真すぎるという風に見られることもある、といっていましたが、理想家、といった方が正しいでしょうか?

ある人が、死という概念と共に生きるには一つの方法しかない。それは現在を芸術に変換することだ。といっていたよ。これは、今話したすべてのことと関連がある話だと思っている

芸術というのは必ずしも普遍的な美しさの源ではないですよね、各個人の美しさとの関係によっては、人々は喜んだり、ショックを受けたりもします。

私がチームスポーツを選んだ理由の話をしよう。人が集まり共通のアイディアを表現しようとする、ということにはどこか魔法めいたところがある。特にこれは現在社会で顕著なのだが、人にとって本当に不幸なことが起こるのは、人が抱えている問題と独りぼっちで向き合わなくてはならないときだよ。

チームスポーツには時間の先を行くことが出来る、という良さがある。11人の選手が、11の異なる関係性を持って、集合的に一つの作品を作り出すことが出来る。今日のスポーツは明日の世界を見せてくれる。また、普段話すことのないような人々と感情を共有することもできる。

これは、現代の社会において、毎日のように出来ることではない。そういった意味では、チームスポーツというのは良い例だよ。テニスのデイビス・カップもゴルフのライダー・カップ(訳注: 両方とも、チーム戦のテニス、ゴルフの大会)も、個人戦には存在しない何かを作り出す。人々もそれを感じているはずだよ。

個人競技のコーチにもなれただろうと思いますか?

いや、そうは思わないね。個人の心の底まではいっていき、何が人を動かすのかといったようなことを知るのは非常に興味深いことだと思う。しかし、私はチームスポーツとともに育てられたし、私の考え方はチームスポーツによって形作られたんだ。

一人の選手のコーチになるのでは私は満足できなかったと思うよ。恐らく私が受けた教育と関係があるのだろう。私の村には、サッカーかバスケットボールしかなかったからね。

プロの選手ではあったものの、そこまで優れた選手にはなれなかった、という経験のおかげで、あなたが監督するチームのパフォーマンスをより正確に判断することが出来、かつそれに対してより忍耐強くなれたと思いますか?

それは、プレイヤーと、彼らが全力を発揮できなかった時に抱えるフラストレーションの関係性で説明することが出来るね。私のキャリア中に何がおころうとも、私はサッカーの世界から離れることはなかっただろう。私にとってサッカーというのは絶対的なものなんだよ。ある種クレイジーな絶対性だね。

24,5歳のころ、私は くそっ、もしサッカーがこれ以上続けられないなら、生きてる意味なんてないじゃないか、それ以外の人生にどんな価値がある? と思うことがあったよ

えっ、本当ですか?

本当さ。長い間、どうしたらそこまで愚かになれたのか理解しようと努めてきた。単純に、村のサッカーの中心にあったバーで生まれ育ったからだと思うね。我々はサッカーの話しかしなかったし、人々は日曜日の試合のためのチームを水曜日と木曜日に考えていた。

私は歩き方を覚える前からそんな人たちと一緒に過ごしていたし、彼らの話を聞いていた。そして考えたんだ。おやおや、みんなは彼を左のウイングで使うつもりだ、これは難しい試合になるぞ。とね。

子どもの頃からその議論には参加していましたか?

もちろん!4,5歳のころに議論を理解できるようになって、9歳か10歳のころには参加していたよ。無意識のうちに起こったことだが、サッカーが人生そのものよりも大切である、というような考え方が私の世界のすべてだった。サッカーの話しか人々はしなかったからね。

24,5才の時に抱え始めた不安に大してどう対処しましたか?

それは徐々に起こったね。25か6の時に、テクニカルアドバイザーだった友人と一緒にミュルーズの会議に行ったんだ。彼が選手の指導を学ぶ機会をくれた。 そこから変化が始まり、そしてストラスールでの私のボス、マックス・ヒルドが.うちのユースアカデミーに来ないか?といってくれた。

そしてそこで彼のアシスタントになり、彼がファーストチームの監督になるのとともに、30歳でアカデミーを統率する立場に昇進した。 32歳のころには、サッカー選手としては引退していたから、それがだけが私の仕事だった。それ以降は物事が進むのはとても早かったよ。実存的な問いかけをしている時間はなかった。 人の内面的な部分というのは往々にして外面的な肉体的能力に影響されるものだ。永遠にサッカーをプレーし続けることが出来るわけではないとわかっていたからね。

66歳になられたばかりですが、そろそろ監督としてのキャリアの終わりに近づいていると感じていますか?

その質問は完全に無視させてもらうことにしよう。私は34歳の現役選手のようなものだ。もし1試合悪い試合があれば、『そろそろ引退した方が良いよ』といわれてしまう。監督を引退した後のことを考えるのはとても難しく、実際のところ、私は自身でもそのあと何をするの考えないようにしているのさ。
選手から監督に移行した経験よりも随分と過酷だ。なぜなら、それは情熱的な活動から無への移行だからね。なので、そのことについては考えないようにしている。私は、終わりは遠くないのだが、壁を無視して前に進み続ける人間のようなものだ。

ではね、エリック(インタビュアーの名前)もし今私が君に、あと24時間後に君は死ぬ、と伝えたとしたら、君は24時間後にのどを掻き切るナイフのことを考えつづけるだろうか?それとも、単に、残された時間を生き抜くだろうか? これが人生の終焉に対する問いだよ。

アレックス・ファーガソン監督は71歳で妻の姉の死をきっかけに妻に頼まれて監督を辞めた、という先例に影響されることはありますか?

確かに、ファーガソンのケースはいい例かもしれない。まず、彼はいかにして自身を再開発し、進化すればよいのかを常に知っていたし、成功に溺れて立ち止まることもなかった。彼のこれらのクオリティを私は高く評価しているよ。彼は、あくまで直感的にだったのかもしれないが、彼自身に挑戦する術をいつも知っていた。

しかし、彼にはほかにも情熱があった。馬が好きだった。ワインもだ。彼はフランス人の私よりも赤ワインについて詳しい。実は最近彼にあったので、『アレックス、寂しくなることはないかい?』と聞いてみたんだ。答えは『全くないね。』だったよ。私はがっかりすると同時に慰められた。もしかすると私も同じかもしれない、とね。

あなたは他に情熱を注ぐ対象はないのですか?

ないね。だからこそ不安になるんだ。私はファーガソンではない。(サッカーの)代わりとなるものは持ち合わせていないし、過去を振り返ることにも興味はない。自伝を出版するとかね。元選手が私に会いに来たときに、今までほど幸せではない様子を見るのは心が痛むよ。
Mr. X, ”元”アーセナルの選手、としか見てもらえず、彼が現在どんな人間であるか評価されないのは辛いことに違いない。過去の自分でいることしかできないのは一種の苦しみだよ。私は自分が引退した後にはなにか”アーセナルの元監督”以外のものになれるよう願っているよ。子供を教えたり、何か人の役に立つものにね。

どうして過去を振り返らないようにしているのですか?

少し心配になるんだ。もし君が私の家に来ることがあったら、そこがサッカーの監督の家だとは絶対に思わないだろうね。この間のFA杯のメダルはどこかと聞かれても私には答えられない。クラブドクターかキットマン(ユニフォームの管理をする人)に確かあげたよ。

それは、歴史と継続を大切にするクラブの監督としては非常に面白い姿勢ですね。

他の人々の歴史にはとても興味を持っているよ。自身の歴史には一番興味がない。私自身が経験したことだし、振り返らなければ今までに犯した過ちを気にせずにいられるからね。後ろめたく感じないでいられる。私はいつも自身の博物館を訪ねて彼らの人生で成し遂げたことを数え直さないといけないような人々を少し可哀想な人だと思い続けてきた。

では、自身を除けば誰があなたの功績を伝えていってくれるだろうと思いますか?

クラブがよくやってくれるだろう。こんにちのメディアの存在感はとても大きくなっているから、彼らも私のストーリーについて話すだろう。実情とは違っているかもしれないにしてもね。真実はもっと興味深いよ、私の功績や経験したことの多くは美化されているからね。
例えば私の父は昔私に関する記事を集めていた。私は時折彼を裏切ってしまったような気分になることがある。私自身はあまりそういったことに興味がないからね。もしかするとそれも変わるのかもしれない。ひょっとすると、ある日私だって”立ち止まって過去を振り返る時が来たようだね、マイフレンド。”というのかもしれない。

そういった話を人にすることはあなたの経験を次の世代に引き継いでいく助けになるでしょうか?

私の仕事においてもっとも美しい点はね、次につなげていくことが出来ること、そして人々の人生に影響を与えることができるということなんだ。良い影響をね。

あなたが生きているうちにアレックス・ファーガソンやティエリ・アンリのように銅像が建てられることについてはどう感じますか?

少し居心地が悪いね。私がしてきたことはそこまで悪くなかったと人々を納得させるために一日一日闘い続ける方が好ましい。現在では人々は非常に短絡的に疑問符をつけられる。監督という仕事は変わってしまい、積み上げらた実績はもう守ってくれない。我々は常に尊敬を勝ち得るために闘い続けなくてはならない。

 

 

現代の監督は、試合に勝つよりも人々を納得させる方が難しいですか?

勝つためには納得させなくてはいけない。社会は縦の関係から横の関係へと移行してしまった。1960年に監督が『こういう風にやろう!』といえばそれを疑う人はいなかっただろう。現代ではまず最初に納得させなければいけない。

こんにちのサッカー選手は裕福だ。裕福な人は納得しなければ行動しない。

彼らには地位があるし、ある種の考え方を持っている。人々は現在では情報も持っているし、それは意見に繋がる。そして、彼らは自分の意見こそが正しいと考える。それは私の意見とは異なるかもしれないので、私は彼らを説得しなければいけないわけだ。

アーセナルではクラブとファンにあなたのやり方を納得させるのに少し自時間がかかりましたね

アーセナルは伝統を大切にするがイノベーションを恐れないクラブだよ。

あなたとあなたの友人でありアーセナルのNo.2だったデイビッド・ディーンがその伝統を少し変化させたからでしょうか

彼らは私のやり方に従うことを恐れはしなかったし、それをとても勇気のいる行動だったと思う。

あなたには時間が確かに与えられましたね。もうアーセナルで20年目です。

時間、というのは本当の意味での贅沢だよ。もし私に何か一つ他人より優れている部分があったとしたら、それは私がいつもアーセナルを”私のもの”のように扱ったということだと思う。

それに関して批判されたりもしたがね。あまりお金を使わないから。無責任さが足りないと。
(訳注: つまり、どうせ何年かの間監督でいるだけのアーセナルのお金だから、という姿勢ではなくあたかも自分のお金を慎重に使うのと同じようにアーセナルのことを扱った、という意味かと思います。)

自分のアイディアを実行し、そのために闘う勇気を持っていたということでは私は自分のことをほめてやりたいと思う。それ以外のことでは、どうして人々が私に賛成してくれないのかは理解できるよ。

ただ私がいつかアーセナルから去る日が来たときに、健全な状況にある良いチーム、将来的に良いパフォーマンスを発揮できるクラブを残すことが出来れば、私は自分のことを誇りに思うだろう。

『ここにいるのは4,5年だけだ。勝ち取れるだけのものを勝ち取って、その後でクラブが破産したって構わない。』と思うことだってできた。しかし、私にとってはトップレベルでの一貫性こそが偉大なクラブのサインなのさ。結局のところ、レアルマドリードだって1952年にディステファノがやってくるまで21年間何も勝ち取れなかった。

現在のレアルマドリードでは優勝しても首にされることがあり得ます。

彼らも今では現代社会的な流れにのってしまった。いつも新しいメンバーが必要で派手な新聞の見出しへの依存症とでもいうべきものだ。

わたしにとっては継続して結果を出すにはクラブ内部の一貫性やまとまりが必要だ。定期的にすべてを投げ出してしまうのは無尽蔵に資源がある場合にのみ成立するやり方だ。その場合は、恐らくそのやり方で勝つことが出来るだろう。しかしそれが出来なければおしまいだ。

あなたはよく一貫性と忍耐についてはなしますね。モナコの監督時代にはそこまでおちついてはいませんでした。

成長したのさ。日本へ行き、自身をコントロールする方法を身に着けた。少しずつ自分の中の敏感さを手なずけていった。監督を始めた時は33だったが、今は66だ。生き残るためには適応しなくてはならない。

もし適応しなかったとしたらあなたの健康にネガティブな影響があったと思いますか?

いや。私の健康に関して少し愚かしい意味での代償を払う準備は出来ていた。むしろ、この業界で生き抜いていくための代償というべきかな。試合の後には取り返しのつかないダメージを与えてしまうこともあったからね。

日本で名古屋グランパスを率いた経験はあなたを大きく変えましたね。

私のボスだった豊田章一郎は私に、彼の夢はグランパスを日本一、そして世界一のクラブに100年後までにすることだとよく言っていた。

これは素晴らしいやり方で、短期的なプレッシャーを取り除いてくれる。もしも成功が1世紀単位ではかられるとすれば、一試合の敗北にどれだけの意味があるというのだろう?これはとても親切なやり方だと思ったね。

自身が単に歴史の中での一本のコンベアベルトに過ぎないと思うこと。自身よりはるかに大きなプロジェクトの一部であること。自身より大きな何かの一部であること。

まったく、我々は地球が我々の死の後まわるのをやめてしまうという風に考えてしまうことが多すぎると思うよ。それは人間の在り方ではない。科学信仰とでもいうべきものと関連があるのかもしれない。永遠に成長し続ける人間文明の一部であるというね。この考え方には現在疑問が呈されている・・・

なるほど、それくらいは変わるものかもしれませんね(訳注: 名古屋での経験による自身の変化について尋ねたところ現代社会の在り方などのスケールの大きな話が返ってきたことに対する皮肉)

名古屋グランパスが疑問を呈しているよ(笑)

彼らは私が去って以降、あまり前進していない。もちろんそうはいっても、まだ20年しかたっていないからね。実は、私のボスだった豊田さんが帰ってきていて、アドバイスを求めて私に会いに来たよ。毎月連絡が来る。今でもグランパスとは緊密な関係を保っているんだ。

撮影用に着替えている際に、Mircea Lucescu(シャフタール・ドネツクの監督)がいっていた、『アーセンは貴族なんだ。(訳注: 高貴な身分の人、というよりも、日本で言うところの武士や商人に対しての公家のイメージが近いかもしれません) ファーガソンのように労働者階級的思考で動いているわけではないし、モウリーニョのような攻撃的な性質とも違う。彼は何よりも教育者のように見える。』という言葉を思い出しました。この言葉はあなたのことをよく表していると思いますか?

私が他の何よりも教育者である、ということは否定はしないよ。しかし、貴族のように感じるかといわれるとそういうわけではない。私のように肥料を手押し車に積み込むような人生を送っていたら理解してもらえると思う。私は人生において大切だと思う価値観に対して正直であるように努め、それを他人に向けて発信していくようにしている。

私が監督をやってきた30年の間に選手に良いパフォーマンスのために薬物を使用させたことはないし、それに関しては誇りを持っている。私が戦ってきたすべてのチームが同じ考え方を持ってプレーしているわけではない。

貴族というのは心の在り方に関することであって、必ずしも引き継がれるステータスではないのかもしれません

ほかの人が私に関してどう感じるかを否定するつもりはないよ。しかし私自身に関していえば、私はダットレンハイムで毎日草原を駆け回っていた人のように感じる。貴族というのはそういった我々がもともと送っていた生活から切り離されているものだからね。

私が常に心掛けていることは価値観を継承していくことだ。血統に基づく権利ではなくてね。死者と自分たちの価値観を大切に扱わない文明には破滅が待ち受けている。

その通りですね。あなたはイングランドでは農民のような恰好はしていません。試合の日にベンチではとてもスマートにしています。

サッカーという競技や、このクラブの持つイメージに関して責任があるような気がしているからね。

そして、それと同時にサッカーというのはお祝い事だからさ。私の故郷では人々は日曜日にはドレスアップしていた。イングランドに来たときに監督がスーツとネクタイを着ているのはとても気に入ったよ。

まるで『よし、みんな、我々の目標はこの瞬間をめでたいものにすることだ!』とでも言っているようじゃないかい?私はその姿勢を支持したんだ。私は朝起きて自分に『今日はアーセナルの試合がある。いい日になるぞ』といえるような人になりたいのさ。

そのような人は今日はポジティブなことが起こると思いながら一日を始められる。そしてだからこそ、ビッグクラブは面白いショーを提供することを目標にしなくてはいけない。喜びを分かち合うためにね。いつもそれが上手くいくわけではない。

エミレーツでの良い一日とハイバリーでの良い一日は違うこともあるようですね?

期待というものがより大きな役割を果たすようになっている。哲学的にいえば、人の望むものと持っているものが一致していること、というのが幸福の定義だ。そして求めるものはそれを手に入れた瞬間にかわってしまう。もっともっと。より良いものを、とね。そしてやがて満足するのは難しくなってしまう。

4位でシーズンを終えるアーセナルファンは”20年間ずっとトップ4だ、優勝したい!”というかもしれない。

彼らはマンチェスター・シティやチェルシーが何百億円も投資していることなど気にかけはしない。単に彼らをやっつけてやりたいのさ。しかし、もし2年間15位だったら4位でシーズンを終えることはとても幸せになるだろう。

忍耐が足りないかもしれないのはファンだけではないようですね。ティエリ・アンリがスカイスポーツでアーセナルは絶対に勝たなくてはいけない。絶対に今シーズン優勝しなくては、といっていました。

”絶対”という言葉は死に対して使うことが出来る。我々はいつか”絶対に”死ぬ。

私は絶対にしなくてはならないではなくて、~したい、という言い方を好む。しなくてはならない、のではなくてしたいんだ。もし君が私に今夜出かけなくてはならない、といったとしたらそのせいで私は少し外出したくなくなる。

もし君が、出かけたいかい?と聞いたとしたら、私はああ、したいとも、と答えるだろう。これが人生は愛すべきものである理由だ。私が”絶対にしなくてはならない”ことなど何もないはずだ。

私に言わせれば、スポーツの美しさというものは誰もが勝つことを望んでいて、そして勝者が一人しか生まれないことに集約される。20人の億万長者がイングランドでプレミアリーグで戦ったとしても、チャンピオンは一人で、残りの19人は落胆することになる。

祖父は私に”わからんな。100mを一人は10.1秒で走り、違うやつは10.2で走る。二人ともすごく早いじゃないか。こんな競争に何の意味があるんだ?”といっていた。現代において我々は10.1秒で走った選手の栄誉を称え、10.2秒の選手を2番手と評価する。

もちろん彼らは二人とも早いのだが、これはスポーツにおいては危険な考え方だ。我々は方法やそこまでの道のりと関係なく勝者を称える時代に生きている。10年後に一番手の選手が不正を働いていたということがわかったとしよう、そのあいだじゅうずっと二番手の選手はずっと苦しみ続けるんだ。ふさわしい名誉を与えられずにね。これらのことを考えると彼らには不幸せになる理由があるように思える。

フェアプレイの重要性を説かれましたが、そういった意味ではあなたは真の英国紳士といえるでしょうか?

私はいつもフェアにプレーしてきたわけではない。誰もが勝利への欲求と敗北への憎しみを持ち合わせているものだ。そのせいでフェアでいるよう努めるのに何度も苦労した。それに関していえば、イングランドで無敗優勝を成し遂げたのは今までに私一人だ。しかし、イギリスの人々はフェアプレイに関してより特別な思いを抱いているように見える。

グループステージで、ホームで敗退した(イングランドの)ラグビーチームを見ればわかる。彼らはピッチを去るときにオーストラリア代表のためにGuard of Honor(訳注: 勝者を称えるため等に選手が並んで作る花道のこと)を作る。そこには尊敬の念がある。それはどれくらい苦しく、屈辱的なことだろうか。しかしもちろん、それはスポーツのイメージにとってはとても良い。

私が相撲に関してとても良いと思ったのは、試合の後で勝った選手が喜びを見せないことだ。対戦相手に恥をかかせないようにね。私は敗北にとても苦しんだことがある。他の文化圏でのオーバーすぎる慣習に比べると、日本での文化や、イングランドの価値観は素晴らしいと思うね。

自身の中で、決定的にイギリス人になったと思うような部分はありますか?

イングランドは私の心の国だ。感情を表現することを恐れない。英語には”I love it!”という表現がある。フランスでは私たちの感情はデカルト(訳注: 理性主義を説いたフランスの哲学者)的な考え方に曇らされている。こちらでは限界を超えて物事を”愛する”方法を知らない。我々はPSGのことが”好き”だがね。イングランド人は感情的に自身を開放する方法を知っている。

多くのもとアーセナル選手が引退後のキャリアをイングランドで歩んでいます、ロベール・ピレスやパトリック・ビエラ、そしてティエリ・アンリのように。将来的にもずっとロンドンに残ろうと考えていますか?

決めていないよ。確かに言えることは私のアーセナルへの愛情は私の人生の最後の日々まで残る、ということだ。放棄することを選べた瞬間もあったが(訳注: 他クラブからのオファーを受け入れるということ)、常にそれを拒んできた。今となっては他の場所での監督としてのキャリアを考えることは難しい。

確信がありますか?

99%、ね(笑) もし明日朝アーセナルに別れを告げられらとしたら、監督業を続けることはないと約束することは出来ないね。しかし疑いなくイングランドにはいかないよ。

監督する、のではなく教育する、という選択肢は?

教育者でありたいという欲求が勝利への欲求と矛盾するような場所にはあるべきではない。そうなってしまうと、教育者というのは少しおろかに聞こえてしまうだろうね。

いかなる監督にとっても、スタート地点は、教えることへの欲求であるはずだ。我々の仕事の一つの美点は人の人生の航路にポジティブな影響を与えられることだよ。

君も私と同じように私たちのことを信じてくれ、前に進む手助けをしてくれた人と出会っているはずだ。街は、才能があったものの、自身への信頼を育ててくれるような人に出会えなかった人であふれている。私は人の人生を助け、機会を与えることが出来る。

そして試合中には対戦相手のベンチに座っている監督はどんな手段であれ結果だけを追い求めている監督が座っていることもありますね・・・?

そういうときには私は純粋すぎるという扱いを受ける。どういったケースであれ、人が人生を生きるやり方は一つしかない。自身が大切だと感じる価値観を受け入れることだ。もし私がそういった価値観を尊重しなければ不幸せになるだろう。どんな時も私はある種の生き方を貫いてきた。良い側面もあれば悪い側面もあるがね。

あなたのキャリアの中で、一つの素晴らしい瞬間を選ぶとしたら?

ロンドンに来て、非常に懐疑的な目で見られた。それから初めのタイトルを獲得し、初めてのダブルを勝ち取り、”アーセン、って誰だ?”からイングランドで成功する初めての外国人監督としてパイオニアになれたことかな。

苦しかった瞬間はどうですか?

トップレベルでの保ち続けている一貫性にもかかわらず、一つずつの敗北の後で、成し遂げたすべてのことを疑われることだろうね。”全ては失敗だった”的な反応を受けることだ。達成したもの中に見出す喜びと受け入れ、耐えなくてはならないものの限界のバランスをうまくとらなくてはいけない。

こんにちでは、私の情熱を表現するためには、そういったものに耐え忍ぶ能力がより要求される。私が行うことの多くは私を苦しめるんだ。

それがメディアから距離を保とうとする理由ですか?

もちろんそうさ。君の知り合いの中に毎朝目を覚まして、”おお、50回くらい鞭打ちされたい気分だな!”というやつがひとりでもいるかね?



【了】

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