【150年・20万試合を集計】非公式英国サッカー王者で振り返るサッカーの歴史

       
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山中 拓磨

熱烈なアーセナルファン。他の方の手のまわっていなさそうなところを中心に、海外サッカーについて色々と翻訳しています。アーセナル・コラムというブログ(http://littlemozart777.blog.fc2.com/ )もやってます。

どうも皆さんこんにちは!

皆さんは、

非公式サッカー世界王者というものをご存じでしょうか?

はじめに

簡単に言うと、歴史上最初の代表戦の勝者である1873年のイングランド代表を起点に、将棋やボクシングのタイトルと同じように、

世界王者に勝利したチーム(引き分けの場合は現王者側が防衛とする)がサッカー世界王者を引き継いでいく、というシステムで受け渡しをしていったら現在の王者はどのチームなのか、を確かめる、というアイディア(?)です。

ちなみに現在の王者は、巡り巡ってオランダ代表です。

この説明のくだり、もう一回やっているので詳しくはこちらをご覧ください。

教祖とでもいうのか、この非公式王者の概念を日本サッカー界に初めて導入したのはtkqさんです。


このJリーグ版をパク・・・じゃなかった、インスピレーションをもらってそのプレミアリーグ版を前回調査したのですが、集計を終え、記事を書き終えたあたりで、頭の中で悪魔の囁きが聞こえました。

『Jリーグは1993年開始だ、でもプレミアリーグはリーグの形式が変わっただけで、イングランドのサッカーリーグは90年代に始まったわけじゃない、もっと昔から王者は存在したはずだろ?』

た、確かに一理あります・・・。

とはいえ、イングランドはサッカー発祥の地、歴史をさかのぼろうと思えばとんでもない時代まで遡ることができてしまうため、その作業量は想像を絶します。

そんな折、こんな記事を見つけました。

なんと、ブンデスリーガ創設の1963年から現代までを辿った記事です。

これだけでとんでもない量ですが、裏を返せば60年分なら何とかたどれる、ということの裏返しでもあります。それならイングランドのリーグ開始から辿るのもいけるのではないか、という気がしてきました。

なので、おもむろにウィキペディアの『サッカーの歴史』というページを開きます。

なるほど、これによると、世界最初のサッカーのリーグ戦であるイングランドリーグが開幕したのは1888年、だそうです。へー、なるほどね、せんはっぴゃく

1888年!?

ちょっと待て、1800年代からイングランドではサッカーリーグやってるの!? 日清戦争(1894)より前じゃん!

伊藤博文や板垣退助がブイブイ言わせていた時代です。流石サッカーの母国大英帝国だけあります。

アストン・ヴィラの会長の提案で始まったらしいです。せめてもう30年くらい待ってくれればよかったのに。

産業革命が早すぎたのを恨むしかありません。しかし、ここで本日二回目の悪魔の囁きが頭の中で聞こえます。

『本家の非公式サッカー王者は1873年からだ。国内サッカーが生まれていないのに代表戦が行われるわけないだろ?ということはイギリスではもっと昔からサッカーが行われていたはずでは?』

た、確かに一理あります・・・。

ここまで来たら乗り掛かった舟、というか自暴自棄です。どうせなら本家越えを目指しましょう。先ほどのサッカーの歴史のページによれば、リーグ戦にこだわらなければ、世界最古のサッカーの大会であるFA杯の初年度開催は1871年です。

時系列的には

・1853 ペリー来航
・1863 FA(イングランドサッカー協会)創設
・1863 ストーク・シティ創設(1878という説もある)
・1865 ノッツ・カウンティ創設
・1867 シェフィールド・ウェンズデー創設
・1868 明治維新
・1871 FA杯開始

という感じです。明治時代どころか江戸時代から英国紳士たちが球蹴りをしていたとは恐れ入りました。

というわけで、前置きが長くなりましたが、サッカー史上初の公式戦、FA杯初戦を起点に、1871年から約150年、20万試合、非公式英国サッカー王者をたどる旅に出かけましょう。最後までついてきてくださいね!

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書き手

1871~1888年 FA杯時代

初代王者: ワンダラーズ

ただ、ここでいきなりちょっとした問題に突き当たってしまいます。記念すべきFA杯の初戦、したがって、初代非公式英国サッカー王者決定戦は1871年11/11のポッキーの日に開催されているのですが、なんとこれ同日4試合開催、しかもほぼ同時刻に行われたようなのです。

これでは歴史上最初の一戦がどれだかわからず、初代チャンピオンがどのチームなのかがわかりません。

しかしご安心ください。

幸運なことにFA杯はトーナメント戦なので、心配無用です。

引き分けに終わった一戦を除いた三試合の勝者、メイデンヘッド、クラッパム・ローヴァーズ、バーンズのどのチームが王者だったとしても、最終的には非公式英国サッカー王者の称号は初年度のFA杯の優勝チームに引き継がれる、という計算です。

初代王者をどのチームとみなすか次第で2,3くらいはタイトル獲得総数の集計に影響が出ますが、流石に150年前ともなると、今も残っているプロクラブは出場していませんので、大筋には特に影響はないはずです。ここは便宜上、1871/72の優勝チームを初代王者とすることにしましょう。

歴史に残る第一回大会の決勝が行われたのは1872年3月16日、ワンダラーズvsロイヤル・エンジニアズ(王立工兵連隊サッカー部、今もアマチュアクラブとして存続している)の一戦です。

ベッツ選手の唯一の得点によるリードを守り切ったワンダラーズが1-0で勝利、初代FA杯の覇者になり、そして初代非公式英国サッカー王者の称号を手に入れました。

代表戦バージョンの非公式世界サッカー王者が誕生する一年前のことです。

いまでもウォルバーハンプトン・ワンダラーズ、ボルトン・ワンダラーズなどちょくちょくサッカークラブが名前に冠することが多いこのワンダラーズですが、こちらが元祖ワンダラーズ、ただのワンダラーズです。Wanderはふらふら歩くという意味で、ホームグラウンドを変更したから、また対戦相手を求めて遠征を繰り返していたから、など由来には諸説あるようです。

少しだけネタバレをすると、これから非公式英国サッカー王者の称号は基本的にイングランド北部を中心に回っていくのですが、初代王者ワンダラーズはロンドンのチームでした。

ブラックバーンの黄金時代

このあとワンダラーズが称号を保持したままFA杯二連覇を達成しましたが、その翌年1874年についにワンダラーズの快進撃を止めたのは、なんと、オックスフォード大学サッカー部です

そのまま決勝でもロイヤル・エンジニアズを破り、FA杯優勝を成し遂げました。

当然ながら今に至るまで、FA杯優勝経験、そして非公式英国サッカー王者の称号保持経験がある唯一の大学サッカー部となっています。

それ以降10年くらいは、ワンダラーズが復権したり、ロイヤル・エンジニアズが悲願の初優勝を果たしたり、古豪のクラッパム・ローヴァーズ、オールド・イートニアンズ(イートン校OB会)やオールド・カースージアンズ(チャーターハウス校OB会)といった名門寄宿学校のOB会など、聞いたこともないチーム名が並びます。

ですが、1884年についにブラックバーン・ローヴァーズがFA杯を優勝したのを皮切りに、FA杯にアストン・ヴィラやウォルバーハンプトン、ストーク、ウエストブロムなど見覚えのあるチームが1880年代後半には参戦し始めます。思ったより早いですね。

特にブラックバーンの強さは圧倒的で、このまま非公式英国サッカー王者を保持したまま1888年のリーグ開始になだれ込むかと思われましたが、最後にアストン・ヴィラ経由でプレストン・ノースエンドに奪取されたところをすい星のように現れたウエストブロムが決勝で勝利、リーグ戦開始直前の非公式英国サッカー王者はウエストブロムということになりました。

ちなみにですが、やはりまだまだチームの強さには差があるようで、この年のFA杯ではプレストンが26-0というとんでもないスコアを記録しています。

集計

初代王者: 1872 ワンダラーズ→1887/88王者: ウエストブロム

非公式英国サッカー王者獲得回数

19 イートン校OB会(最多)
17 ブラックバーン
14 ワンダラーズ
6 オックスフォード大学
5 ロイヤル・エンジニアズ
5 チャーターハウス校OB会
5 ブラックバーン・オリンピック
5 プレストン
5 クラッパム・ローヴァーズ
3 アストン・ヴィラ
2 フォレスト校OB会
2 ウェストブロム
1 スイフツ
1 マーロウ
1 レントン
1 クイーンズパーク

ちなみにローヴァーズもワンダラーズと同じくブリストル・ローヴァーズ、ドンカスター・ローヴァーズなど、サッカークラブによく用いられますが、これもまたさまよう人々という意味です。なぜサッカークラブは皆さまよいたがるのでしょうか。

というかブラックバーンは1884年にFA杯を初優勝し、それから100年以上たってプレミアリーグまで優勝しているのだから震えます。

やはり黎明期ということで、プロ以外のチーム、大学サッカーチームやOB会が名を連ねているのが特徴的ですね。

特にイートン校OB会はこの期間中FA杯優勝は二度のみとワンダラーズやロイヤル・エンジニアズ、ブラックバーンと比べるとそこまで圧倒的につよかったわけでもなかったのですが、なぜか非公式英国サッカー王者の世界線ではとんでもない強さを発揮しました。

さすが軍隊所属だけあって、プロサッカーが活発になって以降も随分と長い間、ロイヤル・エンジニアズはプロと互角以上に戦えるクラブとしてFA杯に参戦し続けていたらしいです。

豆知識としては、そもそも英語のProfessionalという単語のそれによって生計を立てる人、という用法の由来自体が、19世紀にスコットランドで初めてプロサッカー選手という仕組みが誕生した際にProfessorsと呼ばれていることからきているという説もあるようです。

スコットランドといえば、ここでちょこっと登場しているクイーンズパークは現在のQPRとは関係ない、1867年創立のスコットランド最古のクラブです。

今もまだスコットランド二部で頑張っていて、なぜかグラスゴーにある5万人以上収容できるスコットランド代表のホームスタジアムを本拠地としています。

優勝こそ逃しましたが、今日まで、FA杯決勝に進出した経験、そして非公式英国サッカー王者保持経験を持つスコットランド唯一のチームとなっています。

1888年~第一次世界大戦

フットボールリーグ開幕とプレストン・ノースエンドの無敗優勝

さてさて、当然世界最古であるサッカーリーグであるEFLが開幕した記念すべき年は1888年、明治でいうと21年です。

第七代プロイセン王ヴィルヘルム1世が亡くなり、ファン・ゴッホが耳を切り落とし、イギリスでは切り裂きジャックの一人目の被害者が発見されたとされる年ですね。

ちなみにこの年日本では愛媛県から香川県が独立、というなんだかロックなイベントが起きています。

1888年3月にフットボールリーグ結成が決まり、第一節は9月8日、呼びかけに応えて集まったのは、

アクリントン
アストン・ヴィラ
ブラックバーン
ボルトン
バーンリー
ダービー・カウンティ
エヴァートン
ノッツ・カウンティ
ストーク・シティ
プレストン
ウェストブロム
ウォルバーハンプトン

のイングランド中部北部を本拠地とする12クラブでした。これらが初期メンバー、オリジナル12です。

ついこの間までオールド・エトーニアンズみたいな聞いたこともないクラブばかりだったのに、なぜかいつの間にかほとんど今も馴染みのあるクラブだらけになっています。

アクリントンだけは今はもう存続していませんが、つい最近までプレミアリーグにいたクラブばかり、というかそもそもウルブズ、バーンリー、アストンヴィラ、エヴァートンの4チーム、つまり全体の1/3は現在もプレミア在籍中です。

ついに始まったフットボールリーグですが、ここで当時圧倒的な強さを誇ったプレストン・ノースエンドがいきなりとんでもない偉業を成し遂げます。

なんと、試合総数は22試合と今よりも少ないものの、18勝4分で無敗優勝を成し遂げ、しかもこの年のFA杯も優勝、無敗優勝&ダブルという凄まじいコンボを達成してしまいました。

100年以上あとに38試合制のリーグで無敗優勝を達成することになるアーセナルを加えて、今も昔も長い歴史上、無敗優勝が達成されたのはこの二度だけです。さらに、プレストンは翌年もフットボールリーグを連覇します。

が、実はこれは非公式英国サッカー王者とは何の関係もありません。笑

1888年のFA杯王者、そして非公式英国サッカー王者はウエストブロムですが、ストークを下し、ダービー・カウンティを下した後でブラックバーンに奪われ、それを奪取したアストン・ヴィラがプレストンと引き分けたのでプレストンに非公式王者は渡りません。

しかも、その年二度目の非公式王者vsプレストンの試合も、その時保持していたバーンリーが引き分けたため、なんと22試合中18勝をしているプレストンに一度もタイトルは渡ることなく、最終節でブラックバーンから奪取したエヴァートンが保持したまま1888/89シーズンは終わってしまいました。

増え続けるチーム数

さて、ここで残念なお知らせですが、これ以降1800年代は非公式英国サッカー王者的には、特に興味深い出来事は大して起こりません。王者の称号はただひたすら、ウルブズ、ブラックバーン、アストンヴィラ、バーンリー、エヴァートンあたりを行ったり来たりする日々が続きます。

サッカーリーグの人気が広まるにつれて加盟チームはどんどん増えていきますが、古株の牙城を崩すには至りません。

しいて言えば、1890年に加わったサンダーランドが即座に台頭したくらいでしょうか(これに伴って何故かストークがリーグを追い出されています。翌年復帰)。リーグ戦優勝もエヴァートン、アストン・ヴィラと、古豪の強さが目立ちます。

さらになんと、リーグ開始から4年後の1892年にはチーム数が増えすぎて早くも二部制になりました。1部リーグどころか2部も19世紀のうちに誕生しているとは・・・

ちょうどこのころ、アクリントンFCが降格するくらいなら辞めてやる!と駄々をこねてリーグ離脱し、マンチェスターユナイテッドやマンチェスター・シティ、リバプール、そしてロンドンのクラブで初のリーグ加盟チームとなるアーセナルが加わります。

ノッティンガム・フォレストやシェフィールド・ユナイテッド&ウェンズデー、バーミンガムシティなどもリーグに加盟したこともあって、この時代は、

両方とも神12のコットンミルズダービー: ブラックバーンvsバーンリー(元来2チームが粉ひき場の労働者で構成されていたため)
バーミンガムダービー: アストン・ヴィラvsバーミンガム・シティ
シェフィールドダービー: ユナイテッドvsウェンズデー
ノッティンガムダービー: ノッティンガム・フォレストvsノッツ・カウンティ
タインウェアダービー: ニューカッスルvsサンダーランド
マージーサイドダービー: エヴァートンvsリバプール

などダービーのオンパレードです。

これらのチームは全てお互いに19世紀中にリーグ戦で一度はぶつかっており、百何十年も前からこれらのダービーが行われているとは、盛り上がるのも頷けます。

世紀をまたいで20世紀初頭にはチェルシーとトッテナムもリーグに参戦しました。

続々と非公式英国サッカー王者の舞台に登場するビッグ6

最初は二部からのスタートとなった、現プレミアリーグのビッグ6ですが、徐々に力をつけ、アクリントンが抜け11チームとなった初期メンバーの神12を脅かし始めます。

リバプールがまず最初に1896年非公式英国サッカー王者のタイトルをベリーFC(当時リーグ順位はそこまでではないが、なぜか非公式英国サッカー王者界では強かった)から奪取、続いてシティが1901年、アーセナルが1902年、ユナイテッドは1906年に初登場です。その後1907年チェルシー、1909年スパーズと続きました。

少し出遅れたトッテナムですが、実はこの後、アーセナルやチェルシーが初タイトルを獲得するより先にFA杯優勝を果たしています。

リバプールとユナイテッドはこのころ、現実世界ではリーグ初優勝も果たしました。

ちなみに、1900年最後の試合、12/29に非公式英国サッカー王者をストーク相手に防衛したのはアストン・ヴィラ、その後1901年の新年一発目の試合でウエストブロムに奪われたものの、オリジナル12の意地を見せ、世紀をまたいでタイトルを保持したクラブとなりました。

集計

1888 FA杯優勝: ウエストブロム
→1915年非公式英国サッカー王者: バーンリー

この約20年間の間の総獲得数は以下の通りです。

103 アストン・ヴィラ(最多獲得)
91 エヴァートン
74 ブラックバーン
55 シェフィールド・ユナイテッド
45 ノッツ・カウンティ
40 サンダーランド
39 プレストン・ノースエンド
34 ボルトン・ワンダラーズ
33 バーンリー
28 ニューカッスル
28 シェフィールド・ウェンズデー
27 マンチェスター・ユナイテッド
26 アーセナル
24 バーミンガム・シティ
23 ノッティンガム・フォレスト
21 ミドルズブラ
20 ダービー・カウンティ
20 オールダム・アスレチック
20 ウエストブロム
19 ベリー
19 ストーク・シティ
17 ブラッドフォード・シティ
17 マンチェスター・シティ
14 リバプール
12 ブリストル・シティ
10 ウルブズ
6 ブラッドフォード・パークアヴェニュー
6 チェルシー
3 アクリントン
3 ブラックプール
3 ドンカスター・ローヴァーズ
1 トッテナム
1 チェスターフィールド
1 レスター

バーミンガムの雄アストン・ヴィラとリバプールの猛者エヴァートンの強さが光りました。

やはりブラックバーン、ノッツカウンティ、プレストン、バーンリーらリーグの初期メンバー達が上位を占めています。

また、初期は連続で無敗を記録するチームが少なく、非公式英国サッカー王者のタイトルはよく移ります。

1905年9月11日のアストン・ヴィラ→バーミンガム→リバプール→エヴァートン→シェフィールド・ユナイテッド→ダービー・カウンティ→ノッツ・カウンティ→シェフィールド・ウェンズデー→ストーク・シティ→ノッティンガム・フォレスト→ボルトン→マンチェスター・シティ→アーセナル→ベリー→ブラックバーン・ローヴァーズ(1905年12月16日)までなんと15試合連続で非公式英国サッカー王者が敗北、奪取されるという珍事も起きました。

総括としては、やはりイングランド中部北部のチームが圧倒的強さを見せる中、南部勢では唯一アーセナルがそこそこやっている、くらいですね。

とはいえ、今後もバーミンガム、シェフィールド、リバプール、マンチェスターと北部の工業都市を中心に非公式英国サッカー王者は回っていきそうです。

現実世界でも、アストン・ヴィラが既に6回、サンダーランドが5回リーグ優勝と圧倒的な強さを見せた年でした。

ちなみに、マンチェスターの古豪ベリーは、なんと2019年に財政破綻、今はリーグに所属できておらず、クラブ解体の危機に瀕しているそうです。同じくマンチェスターのオールダム・アスレチックも現在は4部まで落ちています。

同じマンチェスターのチームでもユナイテッド、シティとここまで明暗が分かれてしまったのを見るに、やはり町の名前をクラブが冠するというのは非常に重要なのかもしれません。

1919~1939(第一次世界大戦後~第二次世界大戦)

第一次世界大戦の影響で、バーンリーが保持したまま3年間中断となったフットボールリーグですが、1939年にまたしても二度目の戦争で6年間の中断となります。この2つの戦争に挟まれた期間を総括していきましょう。

余談ですが、130年以上の英国サッカーリーグの歴史上リーグが中断されたのはこの二度のみで、戦争と比べれば比較的短期間で済みそうとはいえ今回の新型コロナウイルスによる中断が歴史上3度目ということになり、その影響の大きさを窺わせますね。

ただ、中断を経てふたを開けてみれば、バーンリーからタイトルを奪うノッツ・カウンティ、そしてそれをさらに奪うシェフィールド・ユナイテッド、という何十年も前から特に変わり映えのない光景が続きます。

ハーバート・チャップマンとハダスフィールド&アーセナルの黄金時代

しかし、そこに突然現れ新たな息吹を吹き込んだのが、新星ハダスフィールド・タウンでした。ごく最近もプレミアに昇格し、そして即座に落ちていったのが記憶に新しいところです。今はアーセナルのスミス=ロウがレンタルでプレイしています。

そして、このチームを率いていたのが1920~30年代の英国サッカーを語るうえで欠かせない存在、英国サッカー史に残る希代の名将ハーバート・チャップマンでした。

実はこの時点でプレストンやアストン・ヴィラ、シェフィールド・ウェンズデーが二連覇は達成していたものの、3連覇を達成したチームはありませんでした。

しかし、それぞれ20年代にハダスフィールドが、30年代にアーセナルが達成します。そして、どちらも3連覇を最後まで見届けることはできなかったものの、この2チームに栄光をもたらしたのがこのハーバート・チャップマンでした。

ハダスフィールドで2連覇を成し遂げた後にアーセナルに引き抜かれましたが、残したハダスフィールドのチームが3連覇を達成しました。

移籍後のアーセナルではリーグ初優勝を始め、アーセナルの黄金時代を築きました。その後、不運にも道半ばで病に倒れ、亡くなってしまいますが、チャップマンが基礎を築いたチームはその後またしても三連覇を達成しました。

彼についてより詳しく知りたい方はこちらをどうぞ:

現実の強さが非公式王者界にも表れており今回の期間中に称号を最も多く獲得したのもハダスフィールドでした。

ついに新勢力が台頭を始める

この辺りでようやく強豪チームにバリエーションが出てき始め、ハダスフィールド、アーセナルに続いて非公式英国サッカー王者界では既に常連だったシティがアーセナルの数年後に初リーグ優勝を達成します。

非公式英国サッカー王者もチェルシーやレスターが大躍進、リーズ、ポーツマス、グリムズビータウン、ブレントフォード、ブラックプール、ブラッドフォード・パークアベニューなど多くの新顔が加わっているのも特徴ですね。

1921年には、カーディフ・シティがミドルズブラから王者を奪取、ウェールズのクラブとして初めてタイトル保持クラブとなりました。その四年後にスウォンジーシティも登場しています。

ちなみに、1920-30年代には英国ではクラブ数がさらに増加し、三部リーグが創設される一方で、イタリア・スペイン・フランスといったヨーロッパの他国でもプロリーグがついに開幕、代表戦が盛り上がり始めます。

試合の中継がラジオで行われ始めたのもこのころで、記念すべき一試合目は1927年のアーセナルvsシェフィールド・ユナイテッド戦でした。

集計

1919王者 バーンリー
→1939王者 ウォルバーハンプトン

72 ハダスフィールド(最多獲得)
50 サンダーランド
48 マンチェスター・シティ
44 アーセナル
44 アストンヴィラ
41 リバプール
38 エヴァートン
35 チェルシー
35 ウエストブロム
34 ダービー・カウンティ
34 レスター
33 シェフィールド・ユナイテッド
32 ミドルズブラ
32 ニューカッスル
31 バーミンガム
29 ボルトン
26 ブラックバーン
23 ポーツマス
20 リーズ
19 シェフィールド・ウェンズデー
14 ウルブズ
12 ベリー
11 バーンリー
10 カーディフ
10 グリムズビータウン
9 トッテナム
8 ブレントフォード
7 プレストン・ノースエンド
6 スウォンジー
6 ストーク
5 ウエストハム
4 マンチェスター・ユナイテッド
4 ノッツ・カウンティ
2 ノッティンガム・フォレスト
2 ブラックプール
2 チャールトン
2 レイトン・オリエント
1 ブラッドフォード・パークアベニュー

ハダスフィールドが黄金時代を築き、初期のころはおとなしかったアーセナル、チェルシー、カーディフなど、南部勢の活躍が目立ちます。

まだ全体的には北部の古豪が強いものの、その一方でノッツ・カウンティやバーンリー、ウルブズなど一部勢いがなくなってきたチームが少しずつ出始めていますね。

ちなみに、第二次世界大戦による中断の前の最終年となった1939年のリーグチャンピオンはエヴァートンでした。実は第一次世界大戦による中断直前の1915年に優勝したのもエヴァートンです。

偶然にも今回の中断時に圧倒的トップを走っているのはリバプールと、リバプールが本拠地のクラブは何かと波乱を呼ぶようです。

1946~1992 プレミアリーグ創設まで

新興勢力をものともしない強すぎるリバプール

二度目の大戦を経て再開となったフットボールリーグですが、ついにトッテナムが1951年に、チェルシーが55年にそれぞれリーグ初優勝を果たし、これで今のビッグ6全チームが優勝を経験したことになります。面白いことに、モウリーニョ以前としては唯一のチェルシーのリーグ優勝をもたらした監督は、30年代のアーセナルの黄金時代を支えたレジェンドストライカー、テッド・ドレイクでした。

1955年の時点で優勝回数はアーセナルが7と国内最多、続いてサンダーランド(6)、エヴァートン・リバプール(5)で、ユナイテッドはまだ3度、シティ、チェルシー、トッテナムが1です。

この後、散発的にポーツマスやイプスウィッチという南部の新興チームが台頭、リーグ優勝を果たしたりもしますが、戦後~プレミアリーグ創設までに関してはなんといってもリバプールが圧倒的です。

1975~85年、間に1シーズンずつあけながら2連覇、2連覇、3連覇などとんでもない回数のリーグ優勝を果たし、1992年時点では2位のアーセナルを追い抜くどころか10に大差をつけて18度の累計優勝、トップに躍り出ます。

また75-77の連覇と78-80の連覇の間に挟まる形でリバプールの5連覇を阻止した(この77/78シーズン、リバプールは2位)のはノッティンガム・フォレストで、実はフォレストはこれがリーグ初優勝でした。

1892年にリーグに加わって以来100年近く待った悲願をようやく達成したことになります。

この勢いはヨーロッパでも衰えず翌年からフォレストはUEFAチャンピオンズリーグの前身も優勝しました。

やってくれたなフラム・・・!

さて、現実世界の話はこれくらいにして、非公式英国サッカー王者に話を戻しましょう。実は、リーグが再開して間もなく、非公式英国サッカー王者界に激震が走ります。

中断期間中タイトルを保持していたウルブズが再開から一週間後にブラックプールに王座を明け渡し、その後数年間はサンダーランド、ポーツマス、チェルシー、アストン・ヴィラと受け渡されていたのですが、1952年4月にフラムがハダスフィールドから奪取、そしてそれをシーズン終了まで防衛したまま、なんと2部に降格となってしまいます

このおかげで1953年から、いくら非公式とはいえ、英国王者争いが二部を舞台に行われる、という前代未聞の事態が始まってしまいました。

でも大丈夫です。これも想定の範囲内、前回非公式プレミアリーグ王者を集計した際に、すでに二部落ちは経験しています。

こんなこともあろうかと、今回集計に使用しているエクセルのデータは何と最初から二部の試合も含まれているものを使用しているのです。

そのおかげで(集計的には)何の問題もなく、シームレスに二部に移行することができるのです。シームレスすぎてフラムが二部に落ちたことに気づかないほどでした。

(ちなみにこのファイル、文字だけのデータなのに脅威の3.5Mバイト、毎回起動に15秒かかり、オートセーブのたびに重すぎて固まります。)

ではなぜ二部落ちに気づいたのかというと、急に数多くの新顔が非公式英国サッカー王者の称号を獲得し始めたからです。逆に言えば、降格はマンネリ化が進行していた非公式英国サッカー王者界に吹く新しい風という見方もできます。

ここで現在はプレミアリーグのチームとしておなじみサウサンプトンが称号を初獲得、そのほかにも、プリマス・アーガイル、ロザラム・ユナイテッド、レイトン・オリエントらフレッシュな顔ぶれが並びます。

ただ、フレッシュなクラブばかりかというとそうでもなく、エヴァートン、ノッティンガム・フォレスト、ブラックバーン、バーミンガム・シティ、ベリー、といった久しぶりだね!君たち!といった感じのメンツもそろい、2部はかつての栄光を懐かしむ古豪の同窓会の様子を呈しています。

ただ、意外にもこの全然楽しくなさそうな同窓会は早い終わりを迎えました。

1953年4月にエヴァートンからハダスフィールドが非公式英国サッカー王者を奪取すると、そのままシーズン終了まで守り切り、一部昇格を成し遂げたからです。

なんと、たったの一シーズンで非公式王者が一部に返り咲くこととなりました。やはり一応は王者、チームの強さとある程度の相関関係があるのかもしれません。

一時代の終わり

この後は、時折ルートン・タウンやクリスタル・パレス、コベントリー、QPRといった新顔が現れ、また時々リーズ、ポーツマス、イプスウィッチあたりが急に強くなる時期があったりする以外はいつも通りウエストブロム、アーセナル、マンチェスター・シティ、などなど平和な受け渡しが続きます。

そしてついに90年代に入り、誰よりも早くスタートしたにもかかわらず、気づけば人気実力面で他国に後れを取るイングランドのサッカーリーグへのテコ入れとして、22クラブがフットボールリーグを離脱、92/93シーズンからプレミアリーグがスタートします。

これにより、100年以上続いた一時代が終わり、フットボールリーグはプレミアリーグと名を変えました。とはいえ、所属クラブは当時の一部リーグ所属クラブが全て移っていますので、名称が変わっただけで、実質的にはイングランド一部リーグという意味ではずっと継続していると言っていいでしょう。

もともと頂点を決めるリーグだったイングリッシュ・フットボールリーグからプレミアリーグのクラブが離脱するという形になったため、EFLチャンピオンシップはチャンピオンシップ、という名称となっているわけですね。

集計

1939王者: バーンリー→1992年王者: QPR

166 リバプール(最多獲得)
129 アーセナル
121 エヴァートン
107 マンチェスター・ユナイテッド
101 リーズ
93 トッテナム
78 ノッティンガム・フォレスト
73 イプスウィッチ
64 マンチェスター・シティ
62 バーンリー
62 シェフィールド・ユナイテッド
61 アストンヴィラ
59 ウォルバーハンプトン
53 ウエストブロム
49 ブラックプール
46 ニューカッスル
46 チェルシー
41 シェフィールド・ウェンズデー
40 QPR
37 レスター
34 ダービー・カウンティ
32 ポーツマス
30 サウサンプトン
26 サンダーランド
22 フラム
22 バーミンガム・シティ
22 ウエストハム
19 ボルトン
19 ハダスフィールド
19 クリスタル・パレス
17 プレストン
17 コベントリー
16 カーディフ・シティ
14 チャールトン
14 ストーク
13 スウォンジー
12 ルートン・タウン
8 ブリストル・シティ
7 ブライトン
7 ノリッチ
7 ウィンブルドン
6 ワトフォード
6 ミルウォール
5 ロザラム・ユナイテッド
5 ミドルズブラ
4 プリマス・アーガイル
4 ノッツ・カウンティ
2 ベリー
1 ブレントフォード
1 カーライル
1 オックスフォード・ユナイテッド
1 オールダム・アスレチック

圧倒的な強さを見せたリバプールがやはりダントツで一位、そしてそれにアーセナルとエヴァートンが続く、という現実世界での力関係をほとんど忠実に反映した結果となりました。

150年スパンで見れば比較的新参の部類に入るイプスウィッチやポーツマス、サウサンプトン、QPRといったチームたちも大健闘しており、北部に新たな雄リーズが誕生したものの、この辺りになってくるとイングランド南部と北部はほぼ互角といってもいいでしょう。

アーセナル、トッテナムの北ロンドン勢が特に強いです。

ベリー、オールダム、ノッツ・カウンティといったかつての常連たちがギリギリしがみついているのが笑えます。

オックスフォード・ユナイテッドも1986年に一度だけ非公式英国サッカー王者を獲得し、オックスフォードの地にオックスフォード大学サッカー部以来約110年ぶりとなる称号をもたらしました。

また、こうしてみるとオリジナル12のうち唯一かつての勢いをまだまだ保っているエヴァートンのすさまじさがわかります。

1992~現在

早すぎるプレミアリーグとの別れ

さて、ついにプレミアリーグ開幕です!もう歴史という感じでもなくなってきたのでざっくり振り返っていきましょう。

一年目は見事マンチェスター・ユナイテッドが優勝を成し遂げました。しかし、非公式英国サッカー王者界では衝撃の事件が再び起こります。

1993年にミドルズブラが最後の力を振り絞るようにシェフィールド・ユナイテッドから非公式王者を奪取、そのまま最終節でノリッチを下して防衛、そのまま降格してしまったのです。

な、なんと世はプレミアリーグ開幕、Jリーグ開幕で沸いているというのに非公式英国サッカー王者はまたしてもプレミアリーグを去りフットボールリーグ、実質二部に逆戻りです。

非公式英国サッカー王者を懸けた同都市間のダービーが初めて実現したのが1892年10月、ノッティンガム・フォレストvsノッツ・カウンティ戦なのですが、1993/94シーズンにも二部で同じダービーが実現しています。いつまでやるつもりなんでしょうか。笑

しかも、このノッティンガムダービーに勝利したノッツ・カウンティから王者を奪い取ったのはバーミンガム・シティ、そしてそれからサンダーランド、ダービー・カウンティともう親の顔ほど見たクラブ間でのやりとりばかりが並んでいます。

これらのチームが二部にいるのを諸行無常、盛者必衰の理を表す、と見るか、それともまだまだ二部に留まっていてすごい、と見るかは微妙なところではあります。

ただ、ノッツ・カウンティは今はもうだいぶ下部まで落ちてしまいましたね。

マンチェスターユナイテッドの黄金時代と意地を見せるブラックバーン

ただ、クラブは移り変わっても、非公式英国サッカー王者はやはり王者、1部リーグにやたら帰りたがる傾向にあります。今回の殊勲クラブはノッティンガム・フォレストでした。

二部でオリジナル12のダービー・カウンティからタイトルを奪取すると、クリスタル・パレスに次ぐリーグ二位で昇格を達成、プレミアリーグの舞台に非公式王者の称号を持ち帰ります。

そしてその後プレミアリーグでノッティンガム・フォレストから非公式英国サッカー王者の座を奪取したこれまたオリジナル12、ブラックバーンが怒涛の12連続防衛です。

この年は、実はブラックバーンがオリジナル12の意地を見せ、プレミアリーグ制覇を成し遂げています。現在に至るまでオリジナル12がリーグ優勝をしたのはこれが最後のこととなっています。(このひとつ前は1987年のエヴァートン)

ここからのプレミアリーグの流れは圧倒的強さを見せるマンチェスター・ユナイテッド、そこに殴り込みをかけたアーセナルとの二強時代、まずモウリーニョチェルシー、そしてシティの台頭、その後のミラクルレスターと群雄割拠の現代、と皆さんご存じのとおりです。

個人的に一つ意外だったのは、マンチェスター・ユナイテッドが圧倒的強さを誇ったのはあくまでプレミアリーグ開幕以降で、それ以前はむしろリバプールやアーセナルの方が優勝回数が多かったという点でしょうか。

27年で12回マンチェスター・ユナイテッドが優勝と、ほとんど2年に一回ペースで優勝している計算なるので、いかにアレックス・ファーガソンが化け物監督だったかがわかります。

増える波乱/降格

プレミアリーグ開幕前は100年で2度しか非公式王者が2部に降格した例はありませんでしたが、やはり現代に近づくにつれてリーグ自体の競争力が上がっているという証明なのでしょうか、プレミアリーグ開幕後は非公式王者が降格するケースが増えます。

99/00シーズン最終節で懐かしのシェフィールド・ウェンズデーがレスターから王者を奪取、そのままチャンピオンシップに降格してしまいます。相変わらず節目節目で顔を出してくるクラブです。

ここまで何度もシェフィールド・ウェンズデーというクラブに注目が集まるサッカー記事が未だかつて存在したでしょうか。

今までは二部降格となっても一年で昇格!が定番コースでしたが今回はついに1年で復帰がかなわず、二部生活も二年目に突入しています。ただ、やはりそこは腐っても王者、2001/02シーズンにバーミンガム・シティが非公式王者を保持したまま昇格してくれて事なきを得ました。

しかしその約15年後、2016年にニューカッスルが6連続防衛ののちに降格をキメてしまいます。降格の頻度がだんだん上がってきていますが大丈夫でしょうか。

しかも16/17シーズン終了時に保持していたフラム、17/18シーズン終了時に保持していたミドルズブラともに昇格ならず、現代までにそもそもプレミアリーグに帰ってこられるのか、暗雲が漂い始めます。

というか、万が一3部に降格したりしたらどうしよう。

しかし、救世主となったのはノリッチ・シティでした。18/19シーズン最後にブラックバーン(オリジナル12がこんなところに!)から非公式王者のタイトルを奪取、そのままリーグ首位でプレミアリーグ昇格を達成!3年ぶりに1部リーグに帰還です!

ふう。

そして現在へ

しかもそのノリッチ・シティが開幕戦でリバプールに敗れるという(集計の手間という意味では)ボーナス付きで、そのまま脅威の27連続防衛を果たしたリバプールが一気に2020年まで非公式英国サッカー王者のタイトルを運びます。

無敗優勝を果たしたプレストンもアーセナルも何故か期間中は非公式王者にかすりもしませんでしたので(2003/04はボルトンが非公式王者を保持したままアーセナルと引き分けて防衛)、今回のリバプールの記録が実は現時点での最多連続防衛記録です。

最後にワトフォードに敗れこの記録が止まったところをさらにクリスタルパレスが打ち破りましたので、2020年6月、プレミアリーグ再開前の時点での非公式英国サッカー王者のタイトル保持クラブはクリスタル・パレスということになりました。

再開後の初戦はクリスタル・パレス対ボーンマスの試合なのですが、こうなってくると、急にこの一戦が150年の重みがある試合になった気がします。笑

集計

やはり、プレミアリーグはマンチェスター・ユナイテッドとアーセナルの二強時代が長く、そこに食い込んでくるチェルシー、という現実世界を割と忠実に反映した結果となりました。こうしてみると、やはり長いスパンで見ると勝率が高ければ高いほど非公式英国サッカー王者奪取の可能性も高まる、という当然の傾向が表れています。

1992非公式王者: QPR→2020年6/13日時点での非公式王者: クリスタル・パレス

107 マンチェスター・ユナイテッド(最多獲得)
103 アーセナル
85 チェルシー
76 リバプール
51 ノッティンガム・フォレスト
45 エヴァートン
39 トッテナム
37 ニューカッスル
34 ミドルズブラ
33 バーミンガム・シティ
33 フラム
33 アストン・ヴィラ
32 ブラックバーン
28 マンチェスター・シティ
25 ダービー
22 ポーツマス
21 ボルトン
19 ウェンズデイ
16 コベントリー
16 ノリッチ
15 ウエストハム
13 レスター
13 ウエストブロム
13 シェフィールド・ユナイテッド
12 ウィンブルドン
12 ウォルバーハンプトン
12 バーンズリー
12 サンダーランド
11 ハダスフィールド
11 ワトフォード
10 リーズ
9 セインツ
9 ブライトン
9 プレストン
9 QPR
8 スウォンジー
7 ウィガン
7 ストーク
6 ギリンガム
6 バートン・アルビオン
5 チャールトン
5 ハル・シティ
4 バーンリー
4 ブレントフォード
4 ミルウォール
4 イプスウィッチ
4 ブリストル・シティ
4 ノッツ・カウンティ
3 クリスタルパレス
2 カーディフ・シティ
1 ブラッドフォード・シティ
1 グリムズビー・タウン
1 ボーンマス
1 レディング

さすがに2000年代ともなると、やはりかつての常連たちは勢いを失い、オリジナル12もエヴァートンの45で精いっぱい、という感じですが、何故か二部でノッティンガムフォレストが荒稼ぎして大分数字を伸ばしています。

リーグ開幕から130年も経つと流石に煮詰まってくるのかと思いきや、ボーンマス、レディングなど、新顔も結構登場していますね。

ただ、奪取数は少ないとはいえ、ブラックバーン、ウエスト・ブロム、プレストン・ノースエンドあたりはリーグ開幕前のFA杯時代から未だに、百何十年間継続して顔を出しています。

シェフィールド・ユナイテッドとウェンズデーが舞台を二部に移して未だにダービーで非公式英国サッカー王者を奪い合っているのも笑えます。この人たちは隙さえあればいつもやっています。

一番最初に1895年9月7日にシェフィールド・ウェンズデーがユナイテッドから非公式王者を奪い取っているのですが、一番最近では2017年9月24日、なんと122年後にもまた非公式王者をかけて戦っています。ちなみにその時は逆にシェフィールド・ユナイテッドがウェンズデーから王者を奪取しました。

また、19→20世紀間で称号を保持していたのはアストン・ヴィラでしたが、20→21世紀をまたぐ記念すべき節目で非公式王者を保持していたのは、当時2部にいたハダスフィールド・タウンでした。こちらもかつての常連ですね。

さて、いよいよ150年分の全てを合計した非公式英国サッカー王者保持数の総計ランキングの発表ですが、その前に、今回集計していて面白いと思った記録を見ていきたいと思います

おまけ

せっかく150年分を振り返ったので、目に留まった記録をまとめましたが、非公式英国サッカー王者と関係ない部分はさらっとチェックしただけなので、もしかするとチェック漏れがあるかもしれませんのであしからず。

1チームによる1試合の最多得点記録: 12

1896年12/26 アストン・ヴィラvsウォルソール 12-0

両チーム合計での1試合の最多得点: 14

1958年10/11 トッテナムvsエヴァートン 10-4

1人の選手によるシーズン最多得点: ディクシー・ディーン 60点

1927/28シーズン、エヴァートンの得点王なのですが、当時は42試合制とはいえ、39試合出場で60点、一試合平均1.5点越えと、もはやバグみたいな記録です。

最多ダービー: マージーサイドダービー 201回

コットンミルズダービー、シェフィールドダービー、タインウェアダービーなど、19世紀にはじまって今もまだ続いているダービーは結構ありますが、その中でもダントツに試合数が多いのはやはりリバプールvsエヴァートンでした。

最初にリーグで激突した1894年10月3日(この時はエヴァートンが3-0で勝利)からなんと、リーグ戦だけで201度対戦しており、次の6/21の試合が202試合目ということになります。

最古のスタジアム: ブラマル・レーン 1855年オープン

今も場所が変わらず続いているスタジアムとして最古のものは、シェフィールド・ユナイテッドの本拠地であるブラマル・レーンで、なんと、シェフィールド・ユナイテッド創立以前からクリケット場として使われていたところをのちにシェフィールド・ユナイテッドが本拠地にしたのだそうです。

ペリー来航の二年後にはもう完成していたことになります。

結果発表

現時点での累計チャンピオンは・・・!?

さてさて、いよいよです・・・!

302 アーセナル
297 リバプール
295 エヴァートン
245 マンチェスター・ユナイテッド
244 アストン・ヴィラ
172 チェルシー
163 シェフィールド・ユナイテッド
157 マンチェスター・シティ
154 ノッティンガム・フォレスト
143 ニューカッスル
142 トッテナム
137 ブラックバーン・ローヴァーズ
131 リーズ
128 サンダーランド
123 ウエストブロム
113 ダービー・カウンティ
110 バーミンガム・シティ
110 バーンリー
107 シェフィールド・ウェンズデー
103 ボルトン・ワンダラーズ
102 ハダスフィールド
95 ウォルバーハンプトン
92 ミドルズブラ
85 レスター・シティ
77 イプスウィッチ
77 ポーツマス
68 プレストン・ノースエンド
57 ノッツ・カウンティ
55 フラム
49 QPR
46 ストーク・シティ
45 バーンズリー
42 ウエストハム
39 サウサンプトン
33 コベントリー
33 ベリー
29 カーディフ・シティ
27 スウォンジー
24 ブリストル・シティ
23 ノリッチ
22 クリスタル・パレス
21 オールダム・アスレチック
21 チャールトン
19 イートン校OB会
19 ウィンブルドン
18 ブラッドフォード・シティ
17 ワトフォード
16 ブライトン
14 ワンダラーズ
13 ブレントフォード
12 ルートン・タウン
11 グリムズビー・タウン
10 ミルウォール
7 ウィガン
7 ブラッドフォード・パークアベニュー
6 オックスフォード大学サッカー部
6 ギリンガム
6 バートン・アルビオン
5 クラッパム・ローヴァーズ
5 チャーターハウス校OB会
5 ハル・シティ
5 ブラックバーン・オリンピック
5 ロザラム・ユナイテッド
4 プリマス・アーガイル
3 アクリントン
3 ドンカスター・ローヴァーズ
2 フォレスト校OB会
2 レイトン・オリエント
1 オックスフォード・ユナイテッド
1 カーライル
1 クイーンズパーク
1 スイフツ
1 チェスターフィールド
1 ボーンマス
1 マーロウ
1 レディング
1 レントン

現時点でのトップはアーセナル!!!

そこにリバプール、エヴァートンと続きますが、150年間やっているのに笑えるくらい僅差です。なんとリバプールとの差はたったの5、エヴァートンとリバプールの差に至っては2しかありません。

ワトフォードがリバプールの無敗を止めた際に、アーセナルの無敗優勝の記録が話題になっていましたが、今季のリバプールを見るにこの先もそう簡単には負けなかったと思われるので、ワトフォードは実は同時にリバプールが非公式英国サッカー王者のタイトル保持数でも歴代1位になるのを止めていたということになります。笑

ただもしかすると、これだけ僅差だと、1-3位は今季のうちに順位が動く可能性はありますね。

6/25にリバプールvsクリスタル・パレス戦が予定されているので、もしパレスがボーンマス相手に防衛し、リバプールに敗れるとリバプールがまたしても非公式王者になることになります

しかも、仮にその後防衛を続けたとすると、歴代トップタイに並ぶかどうかの節目の一戦で相手がアーセナル、というとんでもないことになります。笑

リーグ優勝やCL出場権だけでなく、アーセナルとリバプール、エヴァートンの三つ巴の非公式英国サッカー王者累計獲得数をかけた戦いからも目が離せません!

1888年からの累計リーグ順位表

また、非公式王者とは別に、もし1888年からの1部リーグでの成績を全て累計で順位表にしたら、という素っ頓狂な(人のことを言えないような気もしますが)集計をした人がいたようなので紹介します。

勝利の勝ち点が2だった時代の分も、勝利は全て勝ち点3換算で計算されています。試合数が一番多い=一部リーグ在籍年数が一番多いのはエヴァートンですが、やはりリバプールの強さが圧倒的ですね。

勝ち点と非公式英国サッカー王者の成績が割と比例しているのが面白いところです。

試合数 得失点差 勝ち点
1 リバプール 4163 1963 1032 1168 1911 6921
2 アーセナル 4162 1895 1070 1197 1679 6755
3 エヴァートン 4547 1847 1142 1558 763 6683
4 マンチェスター・ユナイテッド 3807 1822 937 1048 1722 6403
5 アストン・ヴィラ 4098 1650 972 1476 509 5922
6 マンチェスター・シティ 3648 1470 876 1302 511 5286
7 トッテナム 3423 1421 828 1174 619 5091
8 チェルシー 3427 1400 882 1145 465 5082
9 ニューカッスル 3493 1346 848 1299 179 4886
10 サンダーランド 3340 1260 780 1300 22 4560
11 ウエストブロム 3108 1100 765 1243 -311 4065
12 ブラックバーン 2720 1017 651 1052 -42 3702
13 ボルトン 2802 1017 641 1144 -311 3692
14 シェフィールド・ウェンズデー 2582 980 612 990 -44 3552
15 ウォルバーハンプトン 2489 969 568 952 86 3475
16 ダービー・カウンティ 2468 906 585 977 -146 3303
17 シェフィールド・ユナイテッド 2384 882 570 932 -226 3216
18 ウエストハム 2501 846 622 1033 -407 3160
19 ミドルズブラ 2438 818 614 1006 -340 3065
20 リーズ 2060 846 523 691 295 3061

第二次世界大戦以前の時代などはマンチェスター・シティがかなり強かったこともあって、実はトッテナムやチェルシーといったロンドンのクラブよりも累計勝ち点では上に来ているのが少し面白いですね。

もしこれを読んでいるシティファンの方がいて、シティは新参の成り上がりだから、みたいに言われることがあったら、俺たちは1930年代にリーグ優勝してるけど?といって、この順位表を突き付けてやりましょう。

また、流石昔取った杵柄、アストン・ヴィラも5位に食い込んでいます。地味にトッテナムとチェルシーの勝ち点がむちゃくちゃ僅差なので、ここは近いうちにもしかすると逆転する可能性も大いにありますね。

まとめ

まあ別に特にまとめることもないのですが、今回は自分で書いていてとても楽しい記事でした。

今の現実の世界を取り巻くもので、100年以上ほとんど形が変わらず続いている、みたいなものというのはほとんどない気がするので、そういう意味では、身近にあるプレミアリーグが遥か昔から続く流れの延長に位置している、というのが体感できたのはとても面白かったです。

たまにはそういった時間の流れに思いをはせてみるのも一興ではないでしょうか。

非公式王者というコンセプトを紹介して下さったtkqさん、そして集計時にエクセルの使い方に関していろいろとアドバイスをくれたpolestarさん、ありがとうございました!



【了】

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