佐藤 邦和
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これまでイングランドでは、数多くの監督は期待されて就任し、絶望とともに解任されてきた。
もしかすると、円満の契約満了は、ほぼないに等しいかもしれない。
そんな過酷な環境で良い仕事をしたにもかかわらず、イングランドフットボールで最も過小評価された5人の監督を今回は紹介したい。
本気記事は、FourFourTwoの記事を翻訳編集しています。
ブルース・リオック(Bruce Rioch)
アーセン・ベンゲルがアーセナルの監督に就任する以前の監督がリオックだ。
彼は1995年にグラハム監督から指揮を引き継ぎ、後にベンゲルサッカーに繋がる攻撃的で洗練されたガナーズのサッカーの基礎を築いた。
リオックの戦術には2つのコンセプトがあった。
1つは後ろからパスをしっかり繋いで組み立てること、
もう1つは前線の選手だけでなく2列目からの飛び出しによるゴールパターンである。
それまでロングボールを主体にストライカー(イアン・ライト)頼みの攻撃だったアーセナルにとってこれは大きな変革だった。
トニー・アダムスは「今日のベンゲルの仕事を容易にさせたのはブルースだ」と評している。
しかしアーセナルではベンゲルの成功が印象強いためリオックはその陰に隠れてしまっている。
アラン・ボール(Alan Ball)
ボールは監督としてより選手としてのほうが知られているかもしれない。
1966年にイングランド代表チーム最年少プレーヤーとしてW杯メンバーに選出され、その後3度のW杯を経験した。
一方で監督としても実に聡明で、特に選手をうまく活かすことに長けていた1990年代を代表する監督でもある。
彼がサウサンプトンに就任する以前はロングボール主体のスタイルだったが、彼が来てからそのスタイルは一変した。
彼はチームの核にル・ティシエを置き、ティシエを中心にしたショートパスサッカーをチームコンセプトにしたのだ。
この起用にティシエ自身も64試合で45ゴールと結果で応えてみせた。その後ボールはマンチェスターCへと移ったが、
ここでも彼はゲオルギ・キンクラーゼのテクニカルなドリブルを活かした戦術で魅力的なフットボールを展開してみせた。
しかしながらシティが降格したためファンからは批判の対象になってしまった。
それでもバルセロナ、インテル、リバプール、セルティックがキンクラーゼ獲得に乗り出した事実を鑑みるとボールは選手の才能を上手に活かすことができた希有な存在だったといえる。
ブレンダン・ロジャーズ(Brendan Rodgers)
リバプールファンならきっと彼の名前を知っているだろう。
ロジャーズはスウォンジーをプレミアリーグに初昇格させ、リバプールではスアレスとスターリングによる超高速カウンター戦術でリーグ創設以来クラブ最高位タイの2位まで押し上げた。
そして昨シーズン、セルティックではなんと無敗優勝を成し遂げている。
常に結果を残してきた彼のキャリアの中でも特にスウォンジーでの仕事は赫々たるものだった。
当時イングランドフットボールでは珍しいポゼッションスタイルを浸透させ、マンチェスターCとアーセナルに次ぐシーズンポゼッション率を記録したのである。
リバプールを解任されて以降イングランドでは彼の評価が下がったかもしれないがその輝かしい実績を忘れてはならない。
マイク・ウォーカー(Mike Walker)
おそらく彼がイングランドサッカーにパスサッカーをもたらした第一人者であろう。
ウォーカーがノリッチに就任した1992年は時間稼ぎや過度な守備的プレーを禁止する目的でバックパス・ルールが導入された年であり、
DFはロングボールを蹴ることが多かった。しかしウォーカーはリスクを恐れず、DFラインからボールを繋ぐスタイルを徹底させた。
リスクが増えたことで失点も増加したものの、より攻撃的で観るものを楽しませるサッカーへと変貌を遂げた。
そしてこの結果ノリッチはクラブ史上最高のプレミアリーグ3位でシーズンを終え、UEFAカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)への出場権を初めて獲得したのである。
しかし1994年にノリッチを解任されて以降は目立った成績は残せておらず、現代のフットボールファンたちからは忘れられた存在になりつつある。
ケビン・キーガン(Kevin Keegan)
往年の名選手であり、バロンドールにも2度輝いている彼は監督としても特別な能力を持っていた。
特に選手の適性を見抜く能力に優れており、例えばニューカッスルでは典型的なナンバー10だったリー・クラークをDMFにコンバートしたり、
アカデミーから昇格した選手をFWからDFにコンバートさせたりした。当時多くの専門家たちはこの決断に懐疑的であったが見事に彼らは躍動し、
クラブを過去70年間で最高位の2位にまで押し上げた。また1996/97シーズンには優勝したマンチェスターUを5-0で破っており、この試合は今もファンの間で語り継がれている。
その後イングランド代表監督も務めた彼だが、少し変わったキャラクターの持ち主でもあり世間の評判はあまり良くないところが過小評価に繋がっているのかもしれない。
長い歴史を持つイングランドフットボールにはさまざまな監督が在籍してきた。
単に優勝回数や勝率といった数字だけでなく、独自の評価基準で監督たちを評価してみても面白いかもしれない。