国立でサッカー観戦したイングランド人女性が受けた衝撃とその後の悲劇(森昌利)

       
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プレミアパブ編集部

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今回ここでご紹介するのは、

日本の『サッカー』と英国の『フットボール』の違いを語る上で、

僕の十八番になっている話である。もちろん実話だ。

色々な人に話してきたが、なぜかこれまで原稿にする機会がなかった。

が、それもこのプレミアリーグパブほどお披露目にふさわしいメディアがなかったせいかも知れない。

ちょっとした小話のような話で恐縮だが、読者の皆さんに楽しんでいただければ幸いである。

 

書き手

昌利(もりまさとし)

リバプールサポーター。

1962年3月24日福岡県博多区生まれ56歳。フリーランスライター。

1993年3月、英国人女性と結婚して渡英。英国のサッカーならぬ「フットボール」と出会い、2000年12月より原稿を書き始める。

プレミア取材歴は今季で18シーズン目。英国在住25年ならではの視点で発祥国の燃えるようなフットボールを解読する。

 

***

 

調べてみると(今はネットで調べると日時なんかはすぐに判明してしまう)時は1992年11月23日。

僕は当時はまだ恋人だったイングリッシュの妻を連れて、ナビスコ杯の決勝に行った。

最初のコラムで記述したが、当時の僕と言えば、フットボールはおろか、サッカーに全く興味なく、当然知識もなし。

そんな僕がどうやってチケットを入手したかは定かではないが、当時出入りしていた広告代理店の営業マン(たぶん、スポンサーのチケットが余っていたのだと思う)から「ほらやるよ」みたいな感じでもらった、というおぼろげな記憶がある。

まあそれは話の本線ではないのでどうでも良いが、チケットを2枚もらったので、当時は20代半ばで、輝くように美しかったカミさんを誘った。

ところがだ、僕が「サッカーの試合に行こうよ」と言った瞬間、笑い上戸で機嫌の良い彼女の顔が突如として曇った。

そして「NO」と即答するではないか。

 

 

 

「なぜ?」

 

 

 

「まあ確かにもらったチケットだけど、来年から始まる『Jリーグ』とかいうプロリーグの発足を記念する第一回目の大会で、しかも国立競技場で行われる決勝戦なんだよ」

 

 

 

とかなんとか、無論誰かの受け売りだったと思うが、付け焼き刃の知識を語った。

そうしたら彼女は

「カップ戦の決勝ですって?だったらなおさら行きたくない!」

とさらに態度を硬化させるではないか。

もともと、僕は家の中で音楽を聴いたり、ビデオを観たりするのが好きな引きこもり体質で、オタク気質が強い人間である。

一方、カミさんは

「なんでもかんでも自分の目で見てみたい」

という行動派。

日本に居着いたのも世界旅行のついでに、みたいなものだった。

なので僕の方からどこかに行こうと誘うのは非常に珍しいことだったのだ。

というのに無下に断られ、ちょっと気分を害した。というか意地になったような気がする。

「いつも君の行きたいところには付き合うじゃないか。国立競技場なんて滅多に行けないよ。普段は行ったことがないところならどこでも行きたがるのに」

とかなんとか言って気の進まない彼女をなんとか説き伏せ、最終的には向こうが折れる形で試合に出かけることになった。

 

***

 

試合当日は晩秋であったが、雲ひとつない快晴の日。

千駄ヶ谷で降りて国立競技場まで歩いた。

本当に気持ちの良い日だったと覚えている。

ところが彼女の様子がおかしい。

こんなカラッと晴れた日が大好きなはずなのに、浮かない暗い顔をしている。

というより、おどおどとして、戦々恐々としている感じだった。

いつもどこでも堂々としている女なのに。

不思議だった。

一体何が彼女にそれほど居心地悪い思いをさせているのだろう。

そう僕が思った瞬間だった。

彼女がポツリと言った。

 

 

 

「警察がいない」

 

 

 

しかし僕にはなんのことだかさっぱり分からない。

警察がいない?

それがどうかしたのか?

という感じである。

ともかく駅から国立競技場まで歩く間、普段はおしゃべりな彼女が漏らした言葉はそれだけ。

ちょっと身構えた感じで周囲を見渡しながら歩く彼女。その隣をのほほんとした表情で歩く僕。

周囲はほのぼのとしたお祭りムードに包まれていた。

そんな平和で楽しげな中を、身構えたイギリス人女性とぼけっと間抜けな顔をした日本男児のカップルが歩いて行ったわけだ。

そんなこんなで、スタジアムに入り、席に座ると、やっとそこで彼女は少し落ち着いた表情になった。

しかし場内の雰囲気を楽しむというわけではなく、試合が始まっても気もそぞろ。

始終そわそわとして

「早く終わって」

という気持ちがその態度にあからさまに表れていた。

読売ヴェルディと清水エスパルスの決勝は1−0で終わった。

三浦知良という人気選手が得点して、読売ヴェルディが優勝した。

サッカーの知識がない僕にはひとつしかゴールシーンが生まれず、見どころの少ない試合に思えた。

なんの気なしに

「試合はどうだった?」

と彼女に聞いた。

すると

 

 

 

「スクールボーイの試合みたい」

 

 

とボソッと言った。

見どころ以前の問題という一言だった。

しかし、試合には行きたがらず、サッカーには全く関心がなさそうだったのに、プレーの感想はかなり「辛口」で、そこに多少の違和感は感じた。

試合が終わって、ようやくのことで彼女が笑顔を見せた。

ホッとしたという感じの笑顔だった。

ところが両チームのサポーターが同じ出口を使ってスタジアムを出るのを見ると、彼女は目を丸くして仰天した。

本当にびっくりした顔をして

 

 

「日本はなんて良い国なのかしら」

 

 

と呟いた。

そんな風に、千駄ヶ谷に着いてからずっと心ここにあらずという感じで、謎の言動が多かった彼女との、全く噛み合わないナビスコ杯決勝デートが終わった。

年が明けて、翌93年3月、僕は渡英して彼女と結婚した。

 

***

 

あれから早くも26年の月日が流れ、英国生活もトータル20数年を数える今となると、あの時のカミさんの不可解な言動と挙動不審の理由が手に取るように分かるのだ。

まず一般的に英国で『フットボール・デート』という発想はない。

もちろん最近ではスタジアムも近代化され、女性ファンや家族連れの観客も増えてはいる。

しかし依然としてフットボールはこの国で女性の最大の敵だ。

英国にはfootball widowなる言葉がある。

意味はそのものズバリ『フットボール未亡人』だ。

説明するまでもないとは思うが、旦那が大のフットボール・ファンであるため、試合がある度に未亡人のような状態に陥る女性達の代名詞がこれだ。

日本では『飲む打つ買う』と男性の悪い遊びを3つ数えるが、英国では間違いなくその上に『フットボール』が位置する。

どんなに好きな男性でも『フットボール好き』であれば、女性は警戒する。

まあ英国一の人気スポーツだから、好きなのはしょうがない。問題はどの程度好きなのか、である。

英国のフットボール・ファンの中には、生活の中心にフットボールがあるという人も少なくない。

特定のクラブをサポートするファンはほとんどこの手の男達である。

アウェイの試合に出かけるような連中は”過激ファン”のカテゴリーに入る。

困ったことに、収入の大部分をフットボールに注ぎ込むという男達も珍しくない。

今日もニューカッスルへ武藤の取材に出向き、その帰りの車中、隣に座ったアーセナル・サポーターと話をした。

54歳になったという彼は、この25年間、1試合たりとて愛するアーセナルの試合を見逃したことがないと豪語していた。

ということは、最低でも8月半ばから翌年5月半ばまで、シーズン中の丸9か月間、彼が家族と一緒に週末を過ごすことはない。

その上ユーロ、W杯など、イングランド代表も追いかけるというファンもいる。

実はうちのカミさんには、グラハム・ピューという元プロのいとこがいた。

惜しくも1966年W杯を優勝した前後のイングランド代表には選出されることはなかったが、1965年から当時の英1部リーグの優勝争いに毎シーズン加わる強豪だったシェフィールド・ウェンズディのレギュラーMFを7年間も勤めた名選手だった。

というわけで、父親も含め、幼い頃から身近な男性達がフットボールと聞くと目の色が変わる環境にいたという。

試合にも連れて行かれたらしい。

そこでうんざりするほど口汚く荒っぽい男性の集団を見たという。

そして「フットボールは敵」と位置付ける、ある種典型的な英国女性に育ったのだった。

しかも彼女が青春時代を過ごした80年代は、イングランドにフーリガンの嵐が吹き荒れていた暗黒時代。

85年にはヘイゼルの悲劇、そして89年にはヒルズブラの悲劇も起こっている。

フットボール・スタジアムはまさに暴力の温床で、気軽に女性を連れて行くような場所ではなかった。

それに加えてフットボールの試合そのものも、フィジカルが強いどころの話ではなく、試合中に選手同士が殴り合うようなシーンも出現した。

するとそんなピッチ上の狼藉が否が応でもサポーターの暴力衝動を煽って、ピッチ外にもさらなる修羅場を呼び込んでいた次第である。

そんな歴史があるからこそ、フーリガン問題がかなり改善されたとはいえ、現在でもスタジアム周辺の警備は厳重だ。ヘルメットをかぶった警官隊が列をなし、馬上から威嚇するように群衆を見張り、サポーター同士の衝突を未然に防ぐ。

さすがに最近では見かけなくなったが、2001年にプレミアを取材し始めた頃は、毎週のように血まみれになった数人の男達を目撃した。

彼らは、西澤明訓が所属したボルトンの試合が終わると、本拠地リーボック・スタジアムの最寄り駅『ホーウィッチ・パーク・ウェイ』前に止まっていた警察隊の装甲車の中で群れていた。

英国で暮らし、フットボールを取材し始めてその異常とも言える熱気を知り、それにあのような凄惨な場面も度々目撃して今に至ると、あの国立競技場へ続く道で、彼女が警官がいないことで戦々恐々としたのも当然だと思う。

それに試合が終わって両チームのサポーターが同じ出口を使って退場するなんてことは、英国では今も考えられない。

アウェイ・サポーターは試合前後、完全に隔離される。

特にアウェイ・チームが勝った場合は、試合終了後もスタジアム内に留まり、ホーム・サポーターの姿がバラけるまで、退場を許されない。

これが常識である英国人の感覚では、血で血を洗うカップ戦の決勝終了直後に、何事もなかったように両チームのサポーターが同じ出口を使うのを見れば、

心底驚き、

「日本はなんて洗練された良い国なんでしょう」

と思うのも無理もない。

そんなこんなで、まず僕にフットボールの試合に誘われた時、”まさか日本人のくせに”と思いつつも、心の中に黒い疑念がまさに嵐の前の暗雲のように広がったという。

ただしプレーの様子を

「スクールボーイの試合みたい」

とコメントしたのは少々いただけない。

しかし、4半世紀も昔の格闘技そこのけだった荒々しいイングリッシュ・フットボールと、プロ化前年で接触プレーが許されなかったアマチュア世代の日本サッカーでは、これは比較のしようがない。

彼女の発言には日本のサッカーを見下しているような印象も抱いて、カチンとくる読者もいらっしゃるかも知れないが、そこはまだ時代の違う27年前のご愛嬌ということで。

それに加えて、フットボールとは全く無縁だと思った日本人男性と結婚したというのに、なんという運命のいたずらか、今では彼女も立派なフットボール未亡人のひとりとなっている境遇にも免じて、なにとぞご容赦いただきたい。

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【了】

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