ポルトガル語が分からなくても伝わる?“下田実況”のルーツとなったブラジル時代の秘話

       
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プレミアパブ編集部

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DAZNやJsportsなどを中心に実況アナウンサーとして活躍されている下田恒幸さん。

プレミアパブでは9月7日にトークイベントを開催。

「サッカー実況界のエース」に貴重なお話をうかがった



はじめに

前編となる今回は、下田さんの生い立ちから実況をする上でのポリシーまで様々なお話を語っていただいた。

有料会員限定のコンテンツだが、今回は特別に、一部を無料公開する。

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目次

「異様な雰囲気だった…」実況・下田恒幸がトーレス引退試合を振り返る

ポルトガル語が分からなくても伝わる?“下田実況”のルーツとなったブラジル時代の秘話(無料公開)

あの「レバンドフスキー!!」の絶叫にもパターンがある?ブラジルで下田恒幸が身につけたポリシーとは

「これが上手い人は尊敬する…」下田恒幸が語る「名実況の条件」とは

最初の仕事はまさかの「能」?下田恒幸の新人アナウンサー時代を振り返る

「あれ?喋れない…」下田恒幸が初めてサッカー実況を担当してぶつかった壁とは

まさかのイエロー3枚目?下田恒幸が困惑したドイツW杯で起きた世紀の大誤審とは

実況・下田恒幸が肌で感じる「元プロ選手の解説者」の凄さとは

下田恒幸が実況する上で最も大事にしていること

 

語り手

下田恒幸

内藤秀明

ポルトガル語が分からなくても伝わる?“下田実況”のルーツとなったブラジル時代の秘話

今日のゲストはDAZNなどでの実況でおなじみの下田恒幸さんです!

実はメインゲストとしてイベントに参加するのは初めてだそうですね!

メインのキャラではないので…(笑)

いえいえ、十分メインのキャラですよ!(笑)

今日は色々なお話をお伺いしたいと思います!よろしくお願い致します!

こちらこそ、よろしくお願い致しします!

早速ですが、下田さんのキャリアについて詳しくおうかがいしたいと思います。

幼少期はブラジルに住んでいたとおうかがいしましたが、ご両親のお仕事の都合でしょうか?

はい。父親仕事の転勤で、小学校3年生から4年間ブラジルのサンパウロに住んでいました。

今だとブラジルは行こうと思えば行けますし、ある程度情報もあります。リオ五輪やブラジルW杯で行った日本人の方もいるでしょうしね。

ただ僕が行った1976年当時はそうではありません。1ドルが300円前後の時代で、まだ成田空港すらなかった時代でしたからね(笑)

その当時、小学生がブラジルの事なんで詳しく知ってるわけないじゃないですか。

イメージとしては全部ジャングルで、アマゾンの密林みたいな国で、インディアンみたいな原住民がいっぱい住んでいる国とか思っていましたからね(笑)

小学3年生ならしょうがないですよ(笑)

ブラジルの空港に着いた時に、目の前が都会だったことに驚いたことを覚えています。

「凄い都会じゃん!」と(笑)

そのブラジル時代に“フッチボウ”(ポルトガル語でいう「フットボール」)にハマったのでしょうか?

はい。当時日本ではまだサッカーはマイナーなスポーツでした。子供の大半が野球少年だった時代ですよね。

野球はプレーされていたのでしょうか?

僕は運動神経が無いので少しだけ…(笑)

小学校2年生の頃、学校にプロ野球の選手名鑑を持ってきた同級生がいて、それに影響されて自分も名鑑を買ってもらい、野球にハマっていきましたね。

あと父親が巨人ファンだったこともあって、僕も巨人に興味を持ち始めました。

だから当時は巨人戦の中継を観る事が最大の楽しみで、生活の中にはサッカーの「サ」の字もなかったです。

ただブラジルに行ったら野球中継がありませんでした(笑)

そうですよね(笑)

4年生の時だったと思いますけど、同じクラスの友達が『プラカール』を学校に持ってきたんですよ。

『プラカール』ってのは、日本で言うと、往年の『マガジン』や『ダイジェスト』みたいなサッカー雑誌で週刊誌です。

それを友達に見せられて、「そんなにサッカーって面白いの?」って話になり。で、友達が「今度セレソンの試合をテレビでやるから観てみろ」って話になり。で、家でテレビで見たのが最初だったかな。77年のブラジル代表戦だったと思うけど。

それを観て以降、サッカーがクラスの話題の中心になって、僕もそこからサッカーをゆるく観るようになりましたね。

ブラジルリーグでいうと、小学校5年生になる頃には、コリンチャンスが特に強かった。

当時は黄金のカルテットの1人、ソクラテスが異常に人気があったんですよ。

彼は医師免許を持っているのでドトール(医者)って愛称で呼ばれてて。そんな選手中々いないでしょ(笑)それも彼が人気だった理由の一つだと思います。

ブラジル人の中でも特に曲芸師のようなトリッキーなプレーを好むタイプで、見た目は髭面でモジャモジャ頭。なので僕らの仲間内でも凄く人気がありました。

当時のコリンチャンスはパリーニャというFWとソクラテスのコンビが抜群で、すごく強かった。

彼らはプラカールの表紙を飾ることも多かったです。

そしてそれと同時期に、「テレビも面白いけどラジオのサッカーも面白いぞ」と僕は気づいたんです。

ええ!ラジオのサッカーなんてあったんですね…。

その当時はポルトガル語は理解できたのでしょうか?

いえ、ポルトガル語が堪能だった訳じゃないんです。ただブラジルのラジオのサッカー実況はポルトガル語がわからなくても理解できるんですよ!(笑)

ええ!!どういうことですか??(笑)

例えば、右が「ジレイト」で左が「エスケルド」。

ドリブルが「ドリブレ」で、ファールが「ファウタ」、

コーナーキックが「エスカンテイオ」で、クロスが「クルザール」です。

これくらいの言葉と選手名がわかると、ピッチ上で何が起きているのか大体わかるのがブラジルサッカーの実況なんです(笑)

なるほど。それは素晴らしい実況ですね!

あの「レバンドフスキー!!」の絶叫にもパターンがある?ブラジルで下田恒幸が身につけたポリシーとは

ブラジルのサッカーラジオ実況が現在の下田さんに与えた影響は大きいでしょうか?

影響というよりも私の実況のルーツでありベースです。

(続く)

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