プレミアパブ編集部
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カーディフのU-23でパフォーマンスアナリストを務めている日本人がいることをご存知だろうか。
平野将弘さんだ。
現在21歳の若者はどのような過程を経てウェールズの地で大役をまかされることになったのか。今回はそのルーツをひも解く。
平野さんの生い立ち

今回はインタビューに応じていただきありがとうございます!
さっそくですが、サッカーとの接点からうかがってもよろしいでしょうか。

はい!
よろしくお願いします!

サッカー始めたのはいつごろだったんですか?

幼稚園の年長、年中あたりですかね。

ポジションはどこだったんですか?

幼稚園のころはFWでしたね。その時は他の人よりはセンスあったんですけど……(笑)
もう一人友達にうまい子がいたので、2トップでガンガン点とってました。
あの時は楽しかったですね。
2002W杯の影響で始めたんですけど、クリスティアン・ヴィエリとかヴァレリー・ロシアのカルピンが好きでした。

カルピンが大好きな幼稚園児っています?(笑)
(編集部注:カルピンはソシエダやセルタなどリーガを中心に活躍したロシア代表MF)

いるんですよ(笑)
いとこに教えてもらったのかな。カルピンのことを。

彼のどういうところにはまったんですか??

ビジュアルですかね。
ドリブルで相手を抜き去っていく印象が強くて。当時彼はレアルソシエダにいたんですけど、WOWOWのダイジェストを見たりして、彼のプレーに純粋にはまっていきました。

当時から見るの好きって珍しいですね!

海外リーグは特に好きでしたね。
ウイニングイレブン6も当時やってて、選手や国旗の名前はすぐに覚えました。

僕がウイイレ始めたの7からだから、僕より年下なのに僕より早い……(笑)
確かチェルシーが好き……だったんですよね?
好きになったのはいつごろですか??

チェルシーは小学校高学年くらいですかね。

アリエン・ロッベンがいなくなった後くらいですかね?

そのくらいだと思います。
ダミアン・ダフとかクロード・マケレレとかがいた時期ですね。

誰にはまったんですか??

ランパードとか、ドログバはすごかったですね。

加入してから数年間のドログバはほんとすごかったですよね!
小学校のころもサッカーを?

やってました!
ただ、正直いい思い出はないですね……。
小学校5年生まではずっと試合に出てたんですね。低学年までヴェルディの下部組織でやってたってことで結構周りからの反応もすごかったんです。
でも少年団のコーチってライセンスも持ってないのに、お父さんとかがよくやるじゃないですか。
6年生のころから突然、お父さんがコーチの息子が試合に出始めるようになったんですよ。
その時からずっとベンチ生活が続いて、サッカーが好きじゃなくなってきたんですね。
でも、プレーするだけじゃなくて娯楽としてサッカーがあると考えることで、サッカーを好きでい続けられてるんだと思います。
私の周りの人って、プレーするのは好きだけど観るのは嫌いっていう人が多いんですよ。
でも、私はそれとは正反対のタイプだったので。海外サッカーを見てるうちに、コーチの仕事に強く興味を持つようになりましたね。

そのコンプレックスとか理不尽な経験が、自分が指導者になろうと思ったきっかけなんですかね?

そうですね。選手という立場からのコンプレックスからだと思います。

指導者になろう、とぼんやり考え始めたのは海外サッカーによりはまっていったからですか??

それに加えて、戦術的要素とか他の人と比べて違う視点で見ることができたというのもあると思います
いろんな要因があって今の私がありますね。
あと授業中にずっとフォーメーションとか書いてたのを思い出しました。世界選抜とかチェルシーのベストな布陣とかを考えて、休み時間以外にサッカー部以外の友達と語ったりしましたね。
テスト用紙の裏とかにも書いてましたね(笑)
目立ちたがり屋だったので先生に見られたかったんでしょうね、当時は(笑)
たまに担任の先生がいなくて読書とかになった時は、クライフの本をわざと目立って読むようにしてたりもしましたし……(笑)

中学生って感じですねえ~~(笑)

中学生のころまでに大体のサッカーの歴史とかも勉強しましたね。それこそ1930年代から今に至るまでほとんどです。
結構大事なことだと思うんです。今のフォーメーションも昔のものを参考にしたとかいうじゃないですか。
分析における「主観」と「客観」

本業の方は客観的なゲーム分析をやられてますけど、主観的なゲーム分析も割とお好きだったりするんですかね?

そういうことですね!現場ではなかなか主観的な感情を入れることがないですけど基本好きですよ!
でも、監督がやってることって実は主観的な分析が多いんじゃないかなって思ったりします。
例えば、マルティネスは部屋に閉じこもって試合を観るらしいんですけど、それは主観的なものだと思うんですよ。
でもパフォーマンスアナリストとして出す戦術分析は、必ず客観的なものでないといけない、というのが持論ですね。

ピッチ上で起こっている様々な事象を数字で出す仕事ですもんね!
主観と客観両方必要だけど、求められてるのは客観的なものってことですね。

そうですね。

監督が思っていることを数字で証明したいときに使ったりもしますもんね。

そういうことです。個人的に監督を目指しているので、主観的な分析も身につけなくちゃいけないとは感じますね。
でもパフォーマンスアナリストがやっていることを、自分の経験を通じて知れたっていうのは今後のキャリアにおいて大きかったんじゃないかと思います。

自分が持ってる手札の中にたくさん選択肢があれば、正しい回答をできる可能性も上がりますしすごくいい経験ですよね!
高校生で渡英

指導者になりたい思い、プレミアへのあこがれからイギリスに行かれたんですよね?

はい、高校生からイギリスに行きました。

高校生のころから指導者の勉強を始めたんですか?

はい。日本人学校に通いつつ、たぶん1年生~2年生のころくらいですね。季節でいうと秋~夏にコーチングライセンスを受講しました。

ちなみに高校生がいきなり海外って大変な気もするんですけど、
ある程度生活のサポートをしてくれる大人はいるんですか??

環境はすごく良かったと思います。
大学で寮生活をしているんですけど、今よりすごく充実していましたね。

高校生のとき、選手としてもプレーしていたんですか?

していました!
平日は毎日やってましたね。
サッカーのコースだったので、曜日にもよりますけど、午後全部サッカーとかもあったので(笑)
1時から3時まではFAのコースの授業の一環で、自分たちがプレイヤー側に立って、インストラクターの方が練習メニューを提示してくれるんですね。
で、4時~6時までは自チームの練習がありました。今振り返ると結構ハードに感じますね(笑)

それはハードだ(笑)
チェルシーは何回くらい見に行かれたんですか?

生観戦は全然いけなかったですね。
スタンフォードブリッジに行ったのが1回で、アウェーでアーセナル、スパーズって感じですね。

よく考えると、チェルシーがCLを優勝した年に行かれたんですよね?

ですね!
決勝は寮のパブみたいなところで見てました。
ほんとはスタディタイムっていう時間だったんですけど、CLがあるときは免除されるんですよ。

勉強時間が免除されるのは文化ですね(笑)
あのシーズン、決勝もそうですけど、バルセロナ戦も印象に残ってます。
1人退場しちゃったけど、ドログバがサイドバックをやりつつトーレスが決めるっていう劇的な展開でしたね!

本当に劇的なシーズンでしたよね!

話を戻すと、高校の時はプレーヤーとしてやりつつ、コーチングライセンスのレベル1、2をとったんですよね。
で、卒業後、一時帰国したんですよね。

はい!
イギリスの大学に進学したかったんですけど、いた高校が日本人学校だったこともあって、英語がまだうまく使えなかったんですね。
なので1年浪人して、図書館に閉じこもって英語を必死に勉強してました(笑)
その甲斐あってある程度はわかるようになって、IELTSで6.5くらいとれるようになりました。それで本格的な準備が整ったって感じですね。

いるだけじゃ、意外と英語身につかないもんなんですよね~~。

お恥ずかしい話、少しホームシックになっていた部分もあります……!

なるほど……!
一時帰国し、進路を考えた

一時帰国中は英語の勉強以外にも何かしてましたか?

いろいろ考えました。そこで出た答えが、家にそんなお金はないけどイギリスの大学に入学してサッカーコーチを目指すっていうものでした。
その中でも特にサウスウェールズがやっていることにひかれて、サウスウェールズに入ることにしました。

大学の決め手は何だったんですか??

勉強の内容と、UEFAB級ライセンスを取れるチャンスがあるところですね。

メインとなる勉強は何ですかね??

フットボールコーチングですね。
ジュニアからトップレベルまで包括的にやれるのは大きいです。
あと純粋にパートナーシップとして、ウェールズサッカー協会やウェールズのクラブと提携してるんですよね。日本人でやってる人もいなさそうっていう希少性もすごく惹かれたものがありました。
イングランドには日本人たくさんいると思うんですけど、ウェールズにはいないじゃないですか。だから自分が第一人者となってコネクションを作れたらいいなと感じましたし、他の日本人にも紹介していきたいです。

時系列を整理すると平野さんは96年生まれでイギリスに行かれたのが2012年、高校を卒業した後1年半間が空いて、2016年の9月にサウスウェールズ大学に入学されたということですね。
(続く)

